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平成27年08月12日
■ ゆりの花、ご紹介

今年もユリの花の紹介です
昨年に引き続き、色とりどりのユリの鉢植えを患者さんより頂き、クリニックの玄関や待合室に飾りました。よく見ると、なかには小さいサイズ(高さ20cmくらい)のとてもかわいいものや、花弁が八重の珍しいものなどが見られました。また、患者さんによると、ユリの香りが好きで、それを楽しみに育てる人もいるそうです。山百合系に香りがあり、香りの強いもの、弱いもの同じ種類の鉢でもみなそれぞれ個性があるようです。花がしおれ始めるとすぐに落ちてしまいますが、また次のつぼみが開いてくれるのでしばらくの間楽しむことができそうです。
















平成27年07月02日
■ 安政遠足マラソンに参加して

少し時間が空いてしまいましたが、5月10日(日)に安政遠足マラソンに参加しました。
初めてだったので家族や親戚、そして職場の皆さんから「大丈夫かい?」と心配され、あまり練習もしなかったので私は本当に20kmという距離を走れるのだろうかと思いながらも当日の朝を迎えてしまいました。
当日は、晴れていて風もあり湿度も、それほど高くなくマラソン日和な日でした。私は、「アナと雪の女王」のエルサの仮装をしました。スタートは安中の武家長屋、そしてゴールは坂本のくつろぎの郷。ゴールに辿り着くまでには、何度もくじけそうになりました。安中から松井田に行くには上り坂が多いからです。でも、そんな時に地域の皆さんが「あっ、エルサだ」とか「エルサ頑張って」とか声をかけてもらったり、手を振ってもらったり、マラソンに参加している方から「頑張りましょう」と声をかけてもらい、「頑張らないと」と何度も思いました。
関門が2箇所あり、そこを通過するのに必死に走り、どちらも5分前での通過。ギリギリでしたが通過でき一安心しました。2つ目の関門を通過する頃は横川でした。ここまで来ると足が動かず全然走れなく歩く事が精一杯でした。
3時間34分38秒かかり怪我もなく無事に完走。順位とか時間とかでなく完走できたことが私は本当に嬉しかったです。
20kmという長い距離を走れたのは、本当に沢山の方に声をかけてもらい、沢山の元気をもらいました。
安政遠足マラソンに参加して、すごく良い経験になったので、機会があればまた参加したいと思います。

M・K


皆さん仮装にも気合が入ります

つらいときにはシップでファイト!

無事に完走です!やったね♪




平成27年04月09日
■ 温泉旅行

別れと出会いの季節です。
クリニックでも、いくつかの別れといくつかの出会いがありました。
縁あって仲間に加わってくれた新メンバーとともに、患者さんが楽しく、充実した生活を送れるように、お手伝いができればと考えています。
さて、相変わらずゴジラの話です。ミニラ1号は新潟で、ミニラ2号は東京で、前橋の家をでて約7年間、それぞれの場所で暴れまわっています。一方、前橋は私とゴジラの二人暮らしです。いつまでも比較的若々しいゴジラに比べて、その分も年をとってしまったような自分が鏡の向こうにいます。相当疲れ果てているようなその顔、表情。きっと年度末にかけて、いろいろなことが重なり、疲れがたまっているのかもしれません。というわけで、気分転換もかねて、ゴジラと一緒に吾妻の“かど半温泉“に行ってきました。実は、1月の連休に行くはずだったのですが、突然の出来事(身内の具合が悪くなってしまったのですが)でその時は行けなくなってしまいました。直前のキャンセルにもかかわらず、宿の方がこちらのことを気遣ってくださって、大変に快くキャンセルを受けつけてくれました。そのときの対応がとてもうれしかったので、今回お願いすることとなりました。
八場ダムの本道から外れて細い道を少し走ると、山に囲まれた、とても静かな場所に温泉はありました。怪獣同伴での温泉旅行のため、予約はしたものの泊めてもらえるかどうかちょっと不安がありました。でも、宿のおかみさんはとても優しい笑顔で、それを了解してくれました。お湯は少しぬるめで、そのぶん、じっくり、ゆっくりとつかることができます。そして風呂から上がるときには体のしんからあたたまっています。少し硫黄がかおる、本当に良い温泉でした。


さて、翌朝、ちょっとのんびりしてチェックアウトをするときの会話。
おかみさん : “昨夜はビールとワインを飲まれたようですが、日本酒や焼酎はお飲みになりますか?”
: “アルコールは弱いのですが、どちらも大好きです”

するとおかみさんは、宿の名前入りの焼酎を包んでくださって、

おかみさん : “このたびは本当に残念でしたね。どうか、これをお供えください。”
: ………。
ゴジラ : “申し訳ありません。本当にお心遣いをいただきまして、ありがとうございます。きっと喜ぶと思います。またお世話になりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。”


さて、帰りの車の中。
: “幸いなことに、具合の悪くなった○○さんは、元気でピンピンしてるじゃない。そんなひどいウソを言って、○○さんにも、おかみさんにも悪いじゃない。”
ゴジラ : “なに言ってるのよ。方便というものよ。おかみさんのせっかくのご好意を悪いじゃないの。いいのよ。”
: “それじゃあ、○○さんにこの焼酎飲んでもらおうよ。ご利益があって、これからも健康でうんと長生きをしてくれると思うよ。”
ゴジラ : “うるさいわねえ、うちでいただけばいいのよ。いいから、軽井沢のアウトレットに行くわよ!”
: “はい、わかりました。”


まとめ
おかみさんへ : とても良いお湯で、たまっていた疲れがとれました。また大変なお心遣いをありがとうございました。1月に倒れた○○さんは、元気に復帰できています。きちんとお話しできずに申し訳ありませんでした。またお世話になりたいと思います。
○○さんへ : おかみさんにうまく説明できずに申し訳ありません。これからも元気でうんと長生きをしてください。また遊びに行きます。

とても楽しい温泉旅行でした。

院長




平成26年07月15日
■ ゆりの花、ご紹介

当院の玄関先と外来の待合室にユリの花が咲いています。

このユリは、当院に通院されている患者さんがご自宅で栽培されたものです。
「よかったらクリニックで飾って下さい。」との優しいお言葉をいただきましたので、飾らせていただいています。

色んな種類のユリをいただいたのですが、どれもとっても綺麗な花を結んでいて、見ているだけで心が洗われるようです。


当院にお立ち寄りの際は、是非ご覧になってください。










平成26年05月08日
■ 事務長就任、ご挨拶

赤城クリニック  事務長 廣瀬 芳彦 

この度、4月より事務長という重責を拝命いたしました、廣瀬 芳彦です。よろしくお願いいたします。
さて、当クリニックは平成13年6月の開院以来、一般内科の他、膠原病・リウマチ等の専門外来に加え、血液透析内科の診療を行っております。

その中で、院長の清水先生の方針であります、「自分若しくは家族が患者様の立場になった時に、自信をもって受診できるクリニックにしよう!」を信条に診療を行ってまいりました。医療サービスという、大変な仕事を担う中で職員一人一人が本当に気持ちよく働くことができれば、質の高い医療サービスを提供できると思いますので、その下支えができれば嬉しく思います。

これからも、今まで以上に清水院長を中心に職員一同、地域の皆様の要望に応えられる医療サービスを提供してまいりたいと思います。
今後とも皆様のご協力を頂くことが多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。




平成26年03月20日
■ 龍太郎のこと

今日はさみしいお話です。ティータイムにこのような記事を載せてよいものかどうか迷いましたが、これまでにもときどき登場してくれた私の大切な仲間のことなので,話を聞いていただければ幸いです。
龍太郎は平成17年6月14日に、わが家の一員となりました。薄茶色の毛並みはとても柔らかくて、ふわふわしていました。私の片手に簡単にのってしまうくらいの小さなからだです。からだは小さくても元気いっぱいで、もりもりと(いやガリガリと)固い餌を食べ、すくすくと成長しました(成長といってもからだの大きさはずっと小さいままでしたが)。昼間はおとなしいのですが、夜になると元気いっぱいで、自分のうちの中を飛んだり跳ねたりしていました。龍太郎を彼の家から連れ出してよく遊びました。私は小便をかけられたり、大事なシャツをかじられて穴をあけられてしまいました。ゴジラもガウンをかじられて大きな穴があいています。でも家の中で着るだけだし、かわいい龍太郎の開けてくれた穴だからこのままにしておく、といって今もときどきそのガウンを着ています。なぜ、私に厳しいゴジラが、龍太郎にかくも優しい気持ちになれるものかと不思議に思っていましたが、あるとき、いつか龍太郎の毛皮をもらっちゃおうっと。とついに本音を暴露しました。ゴジラやミニラたちのいないときに、こっそりと龍太郎に生命の危機を伝えようと努力したのですが、やはり言葉までは伝わらず、怪獣どもを信じきって、いつものようにその手から美味しそうに餌を食べているのでした。
そういえば、大宮に三頭で引っ越したときに、龍太郎が痩せてきて餌をあまり食べなくなるという事件がありました。結局、上下の前歯があまりに伸びすぎて口を開けることもできずに、食べたくても食べられない状況にあったことが、獣医さんの診察で判明しました。あのときも、私は親身になって心配していたのですが、歯の伸びきった龍太郎の顔を見て大笑いしていたゴジラの様子は今も目に焼きついたままです。
3年間の大宮での生活のあと、前橋に戻り、龍太郎とゴジラと私、二頭(二匹?)と一人の生活がはじまりました。龍太郎は固形の餌が大好きで他のものはほとんど食べなかったのですが、イチゴだけは例外でとても喜んで食べました。それも美味しい赤い実の部分ではなくて、それについているヘタの部分です。私はイチゴを食べるときはヘタの部分を手で外して、自分で実を、龍太郎にヘタの部分を食べさせました。龍太郎の家のドアを開けて、ヘタを手で渡すとそれを口にくわえて美味しそうにモグモグと食べます。龍太郎がいつまでも欲しがるので、ときどきは一パック食べてしまうこともしばしばでした。そこへいくとゴジラは豪快です。美味しい赤い実の部分をガブッと食いちぎって、ヘタにまだイチゴの実がついているものを龍太郎の家の玄関あたりに放り投げます。龍太郎は迷惑そうな顔をしながら、大好きなヘタの部分だけを食べて、実は残します。このようなゴジラの様は全く野生を感じさせるのです。
このようにして龍太郎は、ときには私たち二人と遊び、ときには夜遅くに私の愚痴をじっと聞いてくれながら、その後も約三年間を過ごしました。
ところが、平成26年3月15日になって、急に大好きだった固形の餌を残すようになり、もっと大好きだったイチゴのヘタも食べなくなったと、ミニラ2号が心配そうです。3月16日朝にはミニラ2号は東京に戻る予定でしたが、龍太郎の顔色があまりすぐれず、何となく息苦しそうにみえたとのことで、心配でそのまま龍太郎のそばについて様子をずっと見ていました。午前から昼を過ぎて、午後になって息苦しそうな様子、顔色の悪さが強くなってきて、とうとう午後3時18分に龍太郎の保護者であるミニラ2号、そしてゴジラと私の見守る中で、静かに息を引き取りました。ミニラ2号もゴジラも怪獣の目にいっぱいの涙をためて、龍太郎の死を悲しんでいました。もちろん大の男の私は涙など流しませんでしたが、どうしたわけか目から汗が噴き出して止まらずに苦労しました。
昔々、わが家にはタロウというラブがいました。龍太郎とは硝子を隔てて、いつも一緒でした。タロウのお墓は私の実家の日当りの良い畑にあります。小さな沈丁花が二本植えてありますが、いつの間にかかなり大きな木に成長しています。
龍太郎を実家まで連れて行って、タロウの隣に龍太郎のお墓をつくりました。みんなで手を合わせてしばらくの間、龍太郎のいた頃を思い起こしていました。私には、今までは硝子で隔てられていたタロウと龍太郎が、一緒に遊んでいる姿が目に浮かんできました。どのくらい時間が経ったでしょうか、微かな沈丁花の香りに目を開けました。山の中なのに、日当りが良くて暖かい場所なので,タロウの沈丁花が花を開きはじめたのです。
いま、龍太郎はきっとタロウと楽しい毎日を過ごしていると信じています。
龍太郎のいなくなった家をみて、龍太郎のくれた楽しい時間を思いだして、そして龍太郎に感謝しているのです。

赤城クリニック院長  清水 幸博




平成25年07月31日
■ 赤城クリニック開院12周年のご報告とお礼

平成13年6月に開院した赤城クリニックは、平成25年6月に開院12周年を迎えることができました。
これもクリニックをいろいろな方面から支えてくださった皆様のおかげと、職員一同、深く感謝申し上げます。

患者さん一人一人にとって、最善の医療とはなにかを、いつも真剣に考えて、それを実践できるように努力することが、クリニックをさらに成長・成熟させることであると考えています。このことを肝に銘じて、そして開院の頃の気持ちをいつまでも決して忘れることなく、これからも日々研鑽していく所存です。

これからもご指導のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

(当初は開院10周年でご報告とお礼をホームページに載せる予定でしたが、東日本大震災のため12周年となりました。) 

赤城クリニック院長  清水 幸博




平成25年03月25日
■ ふくざつな気持ち

彼とは、クリニックのある男性職員のことです。
クリニックがはじまった時から私と一緒に働いています。当時と比べると、顔には皺が刻まれて、頭は雪をかぶった浅間山のように真っ白になっています。
夫婦二人が並んでいると、奥さんは年よりも若く、彼は明らかに実年齢よりも上に見えるので、ひいきめにみても“かなり年のはなれた夫婦”、普通にみれば“親子”に見えなくもないのです。
これは、彼が奥さんと二人で東京に行って、地下鉄に乗った時の話だそうです。電車に乗ったところ、座席は満員、立っているお客さんは比較的少数だったようです。すると、座っていた女子高校生がすぐに立ち上がって、“どうぞ、お座りください”と席を譲ってくれたのです。彼は、まわりをキョロキョロ見回して、それが自分たち夫婦に言われた言葉であることを悟ったようです。少しの間のあとに、女子高校生にお礼を言って、奥さんを座らせたのです。とかく、今の若い者は…………..といいがちですが、どうして、どうして、立派な若者がいるものだと実に良い気持ちになったとのことでした。すると、今度はその隣に座っていた、小学校3,4年生くらいの可愛い女の子が、“どうぞ、座って”とニコニコ笑顔で彼に席を譲ってくれました。そう言って女の子は隣に座っているお父さんの膝の上に乗って、とっても楽しそう。彼今度は間髪をいれずに、“本当に、どうもありがとう!”と女の子にお礼を言って座らせてもらいました。
今の若い人たちは……………と、小言ばかりが耳につくのですが、どうして、どうして、りっぱな若者や子供たちがたくさんいることを、本当にうれしく、誇らしく思ったとのことです。
さて、しかし、よくよく考えてみると、最初から席を譲ってもらったのは、奥さんの方ではなくて、彼の方だったのではないかという疑問が浮かびました。奥さんであれば、年よりもまだまだ若々しく、とても席を譲られるような状態ではないこと、そして、二人目の女の子が、奥さんが座ってすぐに彼に席を譲ってくれたことを考えると、席を本当に必要としているのは奥さんではなく、彼だと思われたのではないかと。このことを彼に話してみると、悔しそうに、しかしすっかり納得してしまいました。
私も、昨年の春に、子供のお祝いをする機会がありました。両方の両親に声をかけて、みんなで集まって宴会をしました。アルコールを飲むのは私一人だったのと、嬉しいことだったのですっかり飲みすぎてしまいました。会の締めにみんなで写真を撮りました。しかしあとでその写真を見てびっくり。両方の父親よりも私の方が頭がはるかに白くて、おまけに真っ赤な顔をしていて、“ひいじいさんを囲む会”のような写真になっていました。
これからは、“自分の外見(もしかすると中身もそのようになりつつあるのかもしれませんが)をよく理解して、ありがたく席を譲ってもらうことにしよう“、そして
”奥さんと二人で歩いていて、親子と間違われても、笑ってごまかせるような大人なおじいさんになれるようにがんばろう“、と彼と二人で誓ったのです。

院長




平成25年 3月21日
■ 日々安穏是幸也

♪ 御三家 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪
アイドルの御三家を特集したテレビ番組を見ていたら、リトル力士が“バリバリ”とむさぼる煎餅の食べこぼしを“プルプル”震える妊婦のような腹の上にたっぷり載せながら「昔の御三家、覚えてる?」って、こっちも向かずに偉そうに質問してきた。料簡が人様より少しだけ?小さい私は、その態度に、急に突き上げるような憎悪を感じたので「名古屋、和歌山、水戸」とつっけんどんに答えたら、それから三日間、夕食はレトルトカレーのみだった。もちろん「しんしん」の福神漬けもない。

♪♪ お惣菜 ♪♪♪♪♪♪♪♪
夕飯のおかずにラップがかかったままのスーパーの惣菜が出た。それも値引き表示が3回も重ね貼りされ、元値のおよそ半額にまで下がったやつ。「このまま出すのかよ」って言ったら、ふくれっつらの無言でそれをひったくるように持っていった。バタン!バー!チン!バタン!という僅か30秒の調理音の直後に、放り投げるように私の目の前に置いたので「そういうことじゃないよ、ラップをしたまま出すのかよ」と言ったら、鬼の形相で「こんなのもはがせないの」といって乱暴にラップをはがした。すると熱い汁が私の顔に飛んできて「熱っチ!」とビックリしたら、リトル力士のヤツがニヤついた。わざとだな。絶対にわざとだ、わざとだ。

♪♪♪ 給湯機 ♪♪♪♪♪♪♪
我が家の風呂はお湯炊きがうまく作動しない?。特に寒い冬にその現象が頻発するように感じる?。ある冬の寒い夜に、いつまでたっても作動しないのでしびれを切らして震えながら風呂から出ると、リトル力士が(下パートを唄っているのかな?)と思わせるぐらいの歌唱力で『赤いスイートピー』を上機嫌に唄いながら食器を洗っていた。我が家の給湯機、誰かさんに似て能力が低く、お勝手で給湯を使うとお風呂まで気が回らない。それにしても私が風呂に入るのを見計らって洗い物を始めているようにしか思えないのだが。疑惑は頭の中で増幅され、いつしか確信へと変わるものだ。

♪♪♪♪ 小遣い ♪♪♪♪♪♪
「お金がないからくれる?」と下手に出たのに「あるじゃない」と突き放すようにいう。「ないよ」「1,000円あるでしょ」と、これ以上この話をする気ないといった雰囲気がプンプン。確かに私の財布には一人ぼっちの野口英世先生が寂しそうにしていた。私の財布の中を覗いているだけでも大罪なのに、50歳代の男の所持金が、高校生の娘より少ない1,000円でよいと考えている。寝ている時、大いびきをかくこのダブダブ女の顔に、自分のパンツを下げてオナラを吹き掛けてやりたい。でも、私の身近に、ヘソクリなのに貯まると女房に差し出すよう訓練されてしまった人がいる。それに比べたら、たかが1,000円でもくれるだけ良心的か。上見て暮らすな、下見て暮らせ、か。ん?・・・

♪♪♪♪♪ 映画 ♪♪♪♪♪
前橋駅の近くにある《けやきウォークショッピングモール内のユナイテットシネマ映画館》は、シニア世代にも優しくて、どちらか一方が50歳以上の夫婦の場合、1,000円で鑑賞できる。おかげで以前より映画を観る回数が増えた。ただ、鑑賞中に30分くらい必ず寝てしまう。ので、場合によっては意味不明でさっぱりわからないこともある。先日も(今日こそは絶対に寝ないさー)と誓いつつも、やっぱり睡魔に勝てず舟をこいでしまった。すると「年寄りだ!意志薄弱だ!無駄だ!だー!だー!だー!」と罵詈雑言を浴びせられたので「割引の分だけ目をつむってるんだ」と反論したら、蔑んだ表情で人生で最高最悪の「バッカじゃない!」を食らわされた。クッソ!今夜必ず決行してやる。

♪♪♪♪♪♪ 培養 ♪♪♪♪
リトル力士が外出中に宝の山?ぐちゃぐちゃキツキツの冷蔵庫を探検した。そしたら、奥のすみっこの、ヘドロ公害不衛生危険地帯に、カラフルに変色した食材発見。帰宅したリトル力士に「俺、菌やカビの培養してたけど、冷蔵庫でも培養できることを初めて知った。ありがとう」と礼儀正しくお礼を言ったら、怒り狂ったリトル力士は、親類縁者、あらゆる人に唾を飛ばしながら喧伝(けんでん)した。20数年も経つのに、いまだに瞳から殺意ビームを発しながら、この件をほじくり返すことがある。流石にシブトイ(脂太い)。
喧伝:盛んに言いふらすこと。

♪♪♪♪♪♪♪ 感謝 ♪♪♪
 スーパーでは「子供に・・・」「おばあさんに・・・」みたいな、いかにも買いそうなことを言いつつ試食をする。でも、めったに買わない。はなから買う気もない。値引き品や見切り品に飛びつく。店員が値引きシールを張り始めると、貼り終わるのを待つなどとまどろっこしいことはしない。わざわざ商品を持って行って貼らせる。内容量は厳密にチェックする。内容量が記載されていない物は左右の手を使った人間天秤で計測する。冷蔵庫でカビが発育してもヘッチャラなくせに、賞味期限には病的なほどこだわる。劣悪なコンピュータしか搭載されていないのに、商品の値段、特に底値は熟知している。レシートはなめるように確認する。一円でも間違えていようものなら大変な剣幕で訂正を求める。私と家族はこんなたくましい生き物に守ってもらっているんだなぁ〜、ありがたいなぁ〜と、いつも感謝する。普段は簡単に嘘をつくけど、これだけは真実。ただ、冷めた視線で傍観する他人に成りすます。

♪♪♪♪♪♪♪♪ 味噌汁 ♪♪
 豆腐の味噌汁が一番うまいと思う。これには同感なようだ。でも相棒には両者の間に異論が。私は「わかめ」。これぞ赤い糸で結ばれた良縁とでもいうべきベストカップルだ。ところがリトル力士は「油揚げ」だとゆずらない。「豆腐と油揚げは近親相姦で、ロメオとジュリエット以上の許されない愛だ」と法律を盾に訴えるも「冷奴を醤油で食べると罰せられるの」ときたもんだ。「醤油には麹の血が混じっているから、すでにハーフで他人だ」と言うと「塩辛はあきらかに近親相姦よね」と食い下がる。しばらくこんなレベルの低い押し問答が続き、出された解答が、それ以来、我が家の食卓に味噌汁がめったに並ばなくなったということ。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 試着 ♪
 ユニクロの安売りで、ズボン?パンツを買うという。それもよりによってスリム。試着するので「見ろ」とまでいう。小さめのサイズに無理矢理にタップンタップンの股や尻をしまおうとするから恐ろしく手間を食う。試着区域で50過ぎのオッチャンが挙動不審でずっと立っていると、店員は作業するふりをしながらこちらを監視し、お客さんは「気持ち悪〜いビーム」を照射してくるので肩身が狭い。やっと、カーテンが開いたと思ったら、スライスされる前のチャーシューが「やだ、ぴったり〜!」とニコニコの声高に言った。そして鏡の前で一周して「変じゃないよね」と同意を求める。《変か、変じゃないかって質問されても、その体形が変なんだから、パンツの評価なんてできやしない》と思いつつも、嘘をつくのは気がひけるから「いいんじゃない」と曖昧に答える。それにしても、よくもまあ、あそこまで窮屈なところへ仕舞い込んだものだと感心する。でも結局買わない。こういうところがオバサンというモンスターの他種との決定的な相違点だ。

Y.Y




平成25年 2月15日
■ 最強軍団武田家はこうして滅びた

先日、倅の大学へ行ったついでに武田神社へ参拝した。この神社は武田家の居城だった躑躅ヶ崎館があった場所へ、武田信玄を御祭神に明治時代に建てられた。甲府駅から北へまっすぐ2キロ程だらだらと登った山の裾野にある。眼下に桃園の花びらほころぶ甲府盆地、正面には雲海に浮かぶ霊峰富士、西には南アルプスの濃紺で峻険な峰々が一望できる風光明美な場所だ。武田信玄はこの絶景をどんな気持ちで眺めていたのかなぁ〜と、思いに更けっていたら、何故、戦国最強軍団といわれた武田家があっけなく滅びたのか?疑問がふつふつと湧いてきた。
越後の上杉謙信と、今でも語り継がれる川中島の死闘を繰り返した武田信玄。
信玄の、今でも多く語り継がれる「戒め」の中でも、

『武将が陥りやすい三大失陥』
一、分別ある者を悪人とすること。
一、遠慮ある者を臆病とすること。
一、軽躁なる者を勇剛とみること。

『晴信(信玄のこと)の弓矢は欲の為ではなく、民百姓を安楽にする為だと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを待ち望むようになる』
『我、人を使うのではなく、その業(ワザ)を使う』
『人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵』
『情けは人の心をつなぐ事が出来る、しかし、仇が多ければ結局国を滅ぼす』
『信頼してこそ人は尽くしてくれるものだ』
『大将たる者は家臣に慈悲の心を持って接する事が最も重要である』

と家臣や民を思いやる心、優しいさを大切にしたものが多く目につく。
事実、信玄は大切にした。その結果、国のために働き、揺るぎ無い経済力に裏打ちされた、強固な基礎の上に最強軍団が成立した。
信玄は1572年、京の都を目指して甲府を発った。途中、徳川家康が戦いを挑んだ三方ヶ原の戦いでは、若き家康を馬糞をしながら敗走させたほどに大勝した。が、その直後、1573年に病死。武田の赤備えと恐れられた常勝軍だったが、京都上洛は目前で夢と潰えた。
家督を引き継いだ武田晴信はその2年後の1575年に織田・徳川連合軍と長篠で戦い、大敗。瀕死で甲府へ逃げ戻った。家康が「この機に甲府まで」と追討を促すと、「ほっておけば自ら滅びる」と信長は予言し、軍を引き揚げさせた。小さいとはいえ、窮鼠(きゅうそ)に噛まれる愚策を天才は一蹴した。
その後、勝頼は他国との国境のどうでもよい、ある意味捨ててあるようないくつかの小城を踏みつぶすように攻めた。度重なる出兵に家臣や民は疲弊し、不満が充満するといった重大事態に陥っていた。戦の褒賞は攻め取った土地を分配するもので、山間の小さな城では、武士の世の中になってから綿々と続く土地を十分に分け与えるだけの広さは確保できない。
武田領と徳川領の境界部に、高天神城(たかてんじんじょう)という武田方の拠点がある。この城は家康にとっては脇腹にあいくちを突き付けられたような、防衛上危険極まりない。1581年、家康が攻撃した。城方は籠城し、食料も底を突いた。ところが勝頼は救援に向かわなかった。これが勝頼の評判をどん底まで落とした。「勝頼は大将と仰ぐには足らぬ」と多くの武将が離反し、織田・徳川連合軍に走った。源氏の本流、名門武田家の終焉だ。
司馬遼太郎は、徳川家康の生き方や考え方を記した「覇王の家」全2巻の中で、こう記している。
【日本にあって大将なる二大要件は「威」「思いやりと優しさ」・・・・・知恵が備わっていたり武勇の性格であったりするのはその方が望ましい程度で必要の絶対条件ではなく、知恵や勇気ぐらいのものなら、それを備えた補佐さえ置けばよい。】(本文より抜粋)と。
「威」とは威厳、威光、脅威の威。意味は人を恐れさせ従わせる勢いと、辞書をひくと載っている。
「思いやりと優しさ」はご存知の通り。
「威厳」があり、「思いやりと優しさ」を兼ね備えなければ大将、すなわち集団を統率する指導者にはなれない。三国志の劉備玄徳はそれを備えた代表で、人間学に目覚めたばかりの純粋多感な少年達はハートをひとつかみされる。
また、【主(あるじ)ほど、家臣に対して怨恨(えんこん)や憎悪、偏愛や過褒(かほう)、更には猜疑を持ちやすい者は無く、古来、それなしで生涯を終えた者はまれであり、家康の身近では織田信長が特にそうであった。・・・・・人君(じんくん)とは家来にとって一面虎狼(ころう)のようなもので、いつその既得権を取り上げられるか、あるいは時と場合によっては命もろとも召し上げられるか分からないと言う存在であった。ところがこの家康に限り、一度もその種の酷な事をしなかったという不思議な経歴を持っている。家康は積極的な人心収攬(じんしんしゅうらん)術を使った事もなく、更にどうにもならぬほどに吝嗇家(りんしょくか)というべきところがあったため、有能な士を厚遇するという事は一切しなかった。が、人々にとって徳川の傘下に入る事は、他の大名に仕えるより安堵感があった。この安堵感こそが士にとって最大の魅力であるだろう。この安堵感が、家臣団を結束させ、新参の士も徳川家の昔からの譜代衆であるかのような心映(こころば)えを示させるもとになった。家康の頼れるものと言えばこの家臣団の結束以外になかった。】(本文より抜粋)と締め括る。
武田勝頼には強烈な「威」があった。一方で、「思いやりと優しさ」に欠けていた。そのため、家臣にも民にも見放され、信玄在世時には経済力も軍事力も最高水準で盤石だった武田家をたった8年で崩壊させてしまった。
「思いやりと優しさ」が大切だ、なんて誰でもわかっているが、実践となると難しい。「覇王の家」は私の人生の道標で、年中読んでいるが、まだまだ修行が足らない。と、一寸たりとも滞ることのない人の営みが流れる甲府盆地を眼下に、自分の足元を見つめ直した。

怨恨:うらむこと。深いうらみの心。
過褒:褒めすぎること。
人君:人の君たるもの。君主。
虎狼:トラとオオカミ。欲が深く、残忍なことのたとえ。
人心収攬:人々の心をうまくとらえてまとめること。人の信頼をかちえること。
吝嗇:ひどく物惜しみすること。ケチ。

Y.Y




平成25年 1月11日
■ 若者の歌と日本経済を考える

最近のヤングの歌はどうもいかん。まずガチャガチャ騒々しいだけで、「主張」も「思想」も「メッセ−ジ」も「情緒」も「文化」も「イデオロギー」も、まったく感じさせない。どれも個性がなくて判別がつかない。間違った日本語と断片的な英語を組み合わせ、その上、正しく「美しい日本」の発音を心掛けないため、内容がさっぱり理解できない。厄介なことに、そんな歌がそこかしこから漏れてくるので、フォ−クソング世代の、多少ヤングのセンスを許容できるおっちゃんでも「ふん、そんなの歌じゃね−もん」と、いつも頬を膨らます。
そもそも歌とは、自然発生的に口をついて出てきた拍子のある抒情詩的言葉が、人から人へ伝承されるうちに洗練され、完成されて、その結果、認知されるもので、「聞けや、聞けやー」って、勝手に飛び込んできて強要するものではない。
ここ数年、嫌煙権という傍若無人な権利が幅をきかせ、愛煙家(ほとんどが、止めるだけの強い意志を持ち合わせず、仕方なく吸っているのだが)は片身の狭い思いをしている。その類の権利を、ヤングの歌から避難したい人類にも与えてほしい。
そうだ、今こそ立ち上がれ。なんという権利にしようか。そうだな−、嫌曲権(けんきょくけん)。これは太極拳に似ていて、台湾の高齢者を想像させるので、おっちゃんのような「おっちゃんの中の若手層」からクレ−ムがつきそうだ。嫌歌権(けんかけん)。これでは喧嘩をする権利のようで、警視総監に「そりゃ−まずいだっぺ」と、摘発されそうだ。もしそんなことになれば、おふくろに「また、警察に世話になるようなことしたんか」ってグズグズ言われそうなので、やめといたほうがよさそうだ。まぁ−いいや。名前なんてえのは、それこそ自然発生的にできるもので、仮にできない場合にはマスコミがうまいのを考えてくれる。そのためのマスコミだ。
煙草のように、これらの歌に増税に次ぐ増税のお仕置きを加える。戒厳令さながらに、違反者をビシビシ取締り、高額な反則金を課す。アベノミクスたてっかえし内閣は、これを財源に、公約通り経済復興を断行する。当然、族議員の猛反発は吹き荒れるだろう。その時は、この財源から族議員先生や、その仲良しグループにそっとお金を渡せばすぐに静かになる。この生物が、地球上で一番、「金」と「利権」と「票」の世襲トライアングルに弱いからだ。
日本は世界一の金持ちになる。日本の福祉は、日本人の老後は心配ない。これが金あまり傲慢日本復活への序曲になる。このシナリオどうでしょうか。
※たてっかえし:前日のお湯をそのまま使ったお風呂のこと。
※不真面目な文章で申し訳ございません。

Y.Y




平成25年 1月 1日

■ 新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
マヤ文明の予言で昨年12月の冬至付近に人類が滅亡すると言われていました。日本でも一昨年の大震災の経験から、何か起こるのではないかと心配されていましたが大きな事件や事故もなく無事に2013年を迎えることができました。また昨年は私自身厄年でしたが大病もせず、平穏に過ごすことができて本当によかったです。それにしても年を重ねるにつれ時間の経つのが本当に早く感じられるようになりました。1日あればもっといろいろなことができたのにと思う事がよくあります。何故だんだん年をとると時が経つのを早く感じるのか?それには理由があるようです。「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する」これはフランスの哲学者ポール・ジャネーが提唱した心理学的な考え方でジャネーの法則と言われています。例えば50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。よって50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間で、1歳の子供の1日は50歳の人の50日にあたります。つまり年をとると体感できる1年の長さの割合が小さくなるので速く過ぎると感じるのです。さらに感受性豊かな子供の頃の経験は新しい発見の連続であり、その内容が豊富で長く感じられますが、大人になると世の中を理解し、新しい感動が少なくなり日々の生活が単調になるからともいわれています。これから年を重ねるにつれ益々時が経つのを早く感じていくわけです。悔いのない人生を送るために貴重な時間を無駄にせず、1日1日を大切に過ごしていこうと思います。本年もよろしくお願い致します。

赤城クリニック  冨澤健史





平成24年 5月25日
■ 季節を感じるミニコーナー
 赤城クリニックの受付に小さな飾りがあるのにお気づきでしょうか?患者様に季節を感じていただければと、職員の手作りの作品が展示されています。ぜひご覧になってくださいね♪



こいのぼり!うろこがキラキラと光っています

折り紙の兜とフエルトで出来た柏餅です




平成24年 1月 1日
■ 新年のご挨拶

前向きに生きることは素晴らしい

 明けましておめでとうございます。
昨年は大地震と津波で、東北地方を中心に甚大な被害がでました。クリニックも午後の血液透析中に地震にみまわれましたが、幸いなことに被害はありませんでした。職員が日頃から積み重ねてきた訓練と患者さんたちの冷静沈着な行動があってのことと、深く感謝している次第です。個人的なことになりますが、娘の同級生のお宅も津波で流されました。コンクリートの土台だけが残る悲惨な姿を写真で見せられたときには、ただただ恐ろしさがこみあげてくるばかりでした。復興には相当な時間やお金がかかるものと思いますが、こんな殺伐とした世の中だからこそ、みんなで一緒に我慢をして、被災された人々を支えていくことが何よりも大切なことだと思います。そして本格的な復興に向けてのスタートに立つ年という意味をこめて、あえておめでとうと書かせていただきました。
 さて、このような表題をつけた理由はもう一つあります。だいぶ昔の昭和五十二年の話です。藤岡市の山の中からでてきた私は、観音山の麓にある高校に進学しました。自転車通学は大変なので、友人と二人で学校の近くに下宿をさせてもらいました。そのお宅は、もう下宿をやめるはずのところを無理やりお願いし、こうして私たち二人が最後の下宿人となりました。おじさんもおばさんも本当に親身になってくださいました。昭和五十五年に卒業し群馬を離れましたが、それ以後も両親ともども、ずっとお付き合いをさせていただいてきました。昭和六十四年に結婚をしてからは家内と一緒に、そして平成二年からは子供も一緒に。平成十三年にクリニックで働き始めてからは、職場が眼と鼻の先になったのですが、忙しさにかまけて、なかなかゆっくり遊びに行くことができませんでした。途中、おじさんが亡くなっておばさん一人となりました。とても仲の良いご夫婦だったので、おばさんはどれほど寂しい想いをしたことでしょうか。
 昨年十一月下旬におばさんから電話があって、十一月いっぱいで高崎を離れて、生まれ故郷に帰るとのことでした。故郷は雪深いところと聞いていたので、足が冷たくないようにと暖かそうな靴下をもって、おばさんに会いに行きました。半年毎に会っているのですが、今回会ったおばさんは、ニコニコ、優しい、私が高校生の頃のおばさんの顔をしていました。おばさんは、「長年、暮らしてきた高崎を離れるのはとても寂しい。まわりのたくさんの友達も寂しがってくれているんですよ。生まれ故郷とは言っても、大雪と厳しい寒さを考えると大変なことも多いと思う。でも、親戚や幼なじみたちが、私が帰っていくことを楽しみに待っていてくれるのよ。だから、この年になってからなんだけど、また新しい気持ちで、新しいところで、前向きにやっていこうと思っているのよ。自分でいろいろ考えながらやっていると、ぼけたりしている暇もないしね。でも、会いに来てくれてありがとう。本当にうれしかった。みなさんもどうかお元気でね。」
 帰り道、家内が、「あの年になって、新しいことに挑戦しようとか、前向きに生きていこうって考えられるおばさんは、素晴らしいよね。おじさん、おばさんと知り合えて本当良かったね。」そして最後に、「おとうさんも、おばさんを見習って、前向きにいかなくちゃね、これからも私たちのためにもっと、もっとがんばらなくちゃね。」
これから、おばさんは厳しい寒さに、私は厳しいゴジラに立ち向かい、そうして前向きに生きていくのです。

赤城クリニック 院長 清水 幸博


(ゴジラたちの詳しいことは、赤城クリニックのホームページ、ティータイムのバックナンバーをご覧下さい。)




平成23年 2月18日
■ “ザンネン”いろいろ

以前、東京都日野市にある土方歳三資料館に行った。土方歳三はいわずと知れた、激動の幕末、京の都を震撼させた新撰組の鬼の副長と呼ばれた偉人だ。ここは土方歳三の生家跡に歳三ゆかりの品々を展示した家庭的な?遺品館だ。豪農の末っ子だった歳三が子供の頃に「武士になり名をあげたい」と願って弓の矢を作るために植えた矢竹が今でも青々と繁り、足腰の鍛錬や実戦さながらの攻撃力に近づけた大人の腕ほどの太さの木刀、まるで屠殺(とさつ)のように多くの人の命を奪い今も鋭い光を放つ愛刀の和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)、「槍の刺さった痕」とされている穴のあいた頭から首そして肩を守る鎖帷子(くさりかたびら)や刀傷の生々しい額を守る鉢金などなど、まさに鬼神と化した歳三の鼓動が感じられる展示物が間近で見られる、幕末の大好きな人なら必見の施設だ。けれど、歳三が青年期まで暮らした当時の家屋は老朽化のため?今風のプレハブ住宅に建て替えられている。日野市は、この土方歳三資料館の他にも新撰組隊士ゆかりの施設を加え、新撰組の故郷などと銘打って観光地化しているのに、たかが民家一軒くらいなぜ保存できなかったのか。生家が保存されていたならもっともっと歳三を身近に感じられたのに。だって、函館で凶弾に倒れるまで武士道を頑なに貫き通した最後の武士「土方歳三」が躍動していた時はまだ最近なのだから。残念でしょうがない。

その資料館に行く道すがら、私の後方を歩いてきたオタク風?現代の書生風?それとも新撰組の平隊士風?の青年二人。彼らが交わす会話が五月の柔らかいそよ風に乗ってふと私の耳に少しだけ届いた。「・・・土方先生が・・・」と。私の周りには勤皇の志士や新撰組にかぶれた勘違い人が数多くいるが、いまだかつて土方歳三のことを土方先生などと呼ぶ輩はいない。なので「・・・土方先生・・・」、その後の内容がとっても気になった。だがそこは喧噪はなはだしい国道20号線、渋滞では全国区の日野バイパスの歩道。それ以上聞きわけることができなかった。「土方先生は今宵池田屋へ・・・」と、新撰組平隊士も三味の音色が高瀬川に溶け込む京都先斗町界隈を見廻りながらこんな呑気に語っていたのかなあ〜。前説とは違うが、残念である。

土方歳三資料館のお土産に歳三の2種類の写真それぞれ1枚ずつと本を一冊買った。他にも、あまりにも有名な新撰組のロゴマーク?「誠」(ちなみに【誠】とは言ったことは必ず成すという有言実行の意味ですぞ)の字が印刷された資料館オリジナル手拭いや、歳三の写真が印刷された歳三トランプ、歳三蒔絵シール、歳三マウスパット、歳三カレンダー。ちょっとおちゃらけだけど土方歳三キューピーさんキーホルダーなどなど、もっと欲しかったのだが、女房が「もったいない!」とヒステリックに私の腕を引っ張りその場を立ち退かそうとするので渋々我慢した。女には男のロマンが理解できないのだ。わからないかなー。残念。でも、インターネット販売でこっそり購入してしまおう。有言実行。

晩秋、倅のラグビー部(高校)が準決勝へ進出した。対戦相手はこの2年間県内負け知らず、全国大会(通称、花園)でも上位進出が期待された優勝候補。それでも、前半、相手を研究した戦い方で、1トライを許しただけの接戦だった。ところが、前半終了直前にミスから1トライを奪われ敗色気分がグランドと応援席にただよった。後半に2トライを奪い返したが、善戦むなしく負けてしまった。勝てないだろうとは思っていたが、前半の時点では“もしや”と限りなく小さいけど期待しただけに、こちらは悔しい残念だ。

私のおふくろは大正生まれである。大正から昭和に、そして平成へと年号は移り変わってすでに八十数年をかぞえる。そんな齢を重ねるおふくろにこれからも健康で長生きしてもらいたいと願っている。私のおふくろはその期待通りにとても元気である。特に口は益々元気だ。私が仕事から疲れて帰ると、敵はこの時とばかり私に浴びせかけてくる。家のこと、家庭菜園のこと、自分の病気のこと、孫のこと、女房のこと、私の兄弟のこと、母親の兄弟のこと、近所のこと、私の生活態度のこと・・・・・・・・・・、次から次へとマシンガンのごとく。この口さえなければもっともっと長生きしてもらいたいのだが。残念?

先日、赤ちゃん用ビニールプールでおぼれる夢を見た。あまりの息苦しさで目を覚ますと。私の口と鼻に蒲団がかかり、その上に壁を揺るがすようないびきをかく女房様の腕が乗っていた。無意識?でもやる!こいつ本気だな。その時、以前にもこのコーナーの「ティータイム」で記した、(日本国から信用されている男・2002年1月吉日掲載)の家を建て替える時お金を銀行から借りて、建築屋と銀行と女房の前で生命保険に入らされて判を押したら、その三人がほほ笑んだ光景を思い出した。冷たいものが背中を走った瞬間だった。やはりあれは私の思いすごしではなかったのだ。「よくぞ10年間も騙しとおせたなこの曲者」。残念どころか、あまりにも残忍!
      〜♪〜ジャン・ジャン〜♪〜


Y.Y




平成23年 1月 1日
■ 新年のご挨拶

新年のごあいさつ
 あけましておめでとうございます。赤城クリニックも大きな問題なく平成22年の診療を終えることができました。これも皆様方のご支援のおかげと感謝しています。ありがとうございました。
 平和で心穏やかな一年になることを願いながら、毎年この記事を書いています。しかし昨年も心の痛む悲惨な事件が多発しました。日本の“もてなしの心”を世界に、とテレビでは言っています。便利なものであふれかえり、社会との関わりが希薄になる一方で、勝手で都合のよい個人主義が蔓延している今の日本に、もてなしや思いやりを期待することができるのでしょうか。うんざりして、本棚の宮沢賢治全集を久しぶりに手にしてみると、そこには素晴らしい日本人の姿があふれていました。第七巻百九十八ページを開いてみます。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ

 何度も読み返していると、いつの間にか、ゴジラたちのことに思いをめぐらせてしまうのです。
 埼玉にゴジラアイランドが移ってから三年になります。ミニラ1号が新潟に行き、いまはゴジラとミニラ2号だけになりましたが、いずれも巨体、そろそろ埼玉も食べ尽くしてしまいそうです。というわけでミニラ2号の行き先はまだわかりませんが、ゴジラだけは4月に群馬に戻り、私の優雅な一人暮らしも幕を閉じることになりそうです。
 ふり返ると、この三年間いろいろと勉強させられました。恥ずかしい話ですが、それまでは近所付き合いからはじまる社会との関わりなど考えたこともありませんでした。一人暮らしをしてみてはじめて、これがどれほど大切なことか、そしてそれを支えてくれたゴジラの目には見えない努力を実感したのです。私のこの殊勝な気持ちがいつまで続くか自信はありませんが、ゴジラが戻ってきたら、いろいろなことをよく話し合い、理解しあって、社会に少しでも役に立てるように努力をしてみようと思います。
 私はこれまで、ゴジラのことを書きながら、実は自分自身と家族とをみつめ直してきたのかもしれません。ゴジラは、こんなことを書かれていることに全く気づいていません。いつかばれて大目玉を食らう前に、このお話はおしまいにしようと思います。つまらない内輪話につきあってくださった皆様に感謝したいと思います。ありがとうございました。
年頭から大きく脱線してしまいましたが、ゴジラに負けないように元気を出して、患者さんのためにがんばろうと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

(ゴジラたちの詳しいことは、赤城クリニックのホームページ、ティータイムのバックナンバーをご覧下さい。)




平成22年 9月 2日
■ とるにたらないゴルフの話  結果報告編

再デビューをいたしました。
結果は、中断前のスコア―を現状維持?およそ120打(いくらなんでもハーフではないですよ)と、練習もしていないのに上出来でした。同じ組の皆さんと険悪な雰囲気にならず、終始和やかに(私はそう感じました)ラウンドできました。
相変わらず、ティーショットは右スライスのОBです。アイアンは穴を掘っているような状態でした。よくクラブが折れなかったとさえ感心しています。パターはOKコールに何度も救われました。やさしい皆様です。ОBでの前進4打後のショットが意外と運よく良いところへ飛んでくれて何とかこのスコア―になりました。
そんな有様でしたが、ひとつだけ光明を見つけました。一緒にラウンドしてくださった方の一言の助言によりドライバーのスライスが解消(この日は)したのです。その結果軌道をまっすぐに修正した打球は飛距離を延ばし、生まれて初めてドラコン賞を獲得したのです。うれしかったです。賞品を持ち帰った時の女房の喜びようといったらありゃしません。女性はどんなものでも「貰う」という行為に異常に喜びを感じる生き物なのです。
なにはともあれ、満足のいく結果で、以前やっていたころより断然ゴルフが楽しく感じました。一緒にラウンドしてくださった方に恵まれたこともあるのでしょうが、時間をおいたことでゴルフのなんたるかを少しだけ理解できたからなのかもしれません。
前文の「とるにたらないゴルフの話」に付き合ってくださった皆様への第二弾としてご報告でした。

Y・Y




平成21年 6月 5日
■ とるにたらないゴルフの話

突然ですが。ゴルフに誘っていただく事がよくある。私の腕前は周知された「かなりヘタッピ」である。たいていティーグランドでお別れの挨拶を済ませると両手いっぱいにクラブを握り駆け出す。マナーはよくない。スコアーをまとめるのに必死で周りが見えないということも否定する気はないが、英国貴族的な上品な教育を受けていない事が主たる原因であるようだ。これは「両親の責任」と、私の中では常識となっている。練習は怠る。幼少の頃より「人知れず努力」というおくゆかしい向上心を持ち合わせていないようだ。こちらも「両親の責任」だと……。そのくせ思い通りにいかないとイッチョマエに不愉快になるし、コシャクにも昼休みにビールなどもたしなむ。そんな私でも緊張する。打球の行方に自信と責任が持てないからだ。

ゴルフは楽しい。まずロケーションがよい。すべての自称ゴルファーが自然の演出による四季折々、時々刻々の表情に癒しを感じるているはずだ。まれにまれナイスショット!だったりするとこちらは気分爽快だ。「見ちゃったぁー、実力はこんなもんかな」なーんて気分高揚。ロングパットを沈めたときには「読みどおり!」と聞こえるように言って小さくガッツポーズを決めたりする。その優越感たら思い出せない数十年前のアイドルの名前を女房より先に言い当てたときのように気分が良い。

ゴルフから遠ざかって8年が過ぎた。そろそろ再デビューを、と考えているが、そんな訳でまったく練習をしていない。一緒にラウンドしてくださる皆様ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。

また、とるにたらない文章を真面目にお読みくださり誠にありがとうございました。

Y.Y




平成21年 1月 1日
■ 新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。早いもので赤城クリニックの一員となり、9ヶ月が経ちました。その間、清水院長をはじめ、スタッフの皆様の協力のもと、毎日楽しく充実した日々を過ごしております。昨年はアメリカのサブプライムローンによる金融不安から全世界の経済が急激に低迷しました。日本においても不況、不景気といった言葉がテレビニュースや新聞紙面をにぎわせており、昨年の今頃には到底予想もつかない事態となっています。また医療においても医師不足の問題や救急医療における患者のたらい回しなど暗い話題が多かったように感じます。そんな中、昨年の世相を表す漢字が「変」に決まりました。金融情勢の変化や政治の変革、食の安全に対する意識の変化など、いろいろな変化があった一年でした。来年はよい年に変えていきたいという期待も込められているようです。個人的にも昨年は今まで大変お世話になった大学の医局を離れた変化の年でした。自分のやりたい医療は何なのか、いろいろと考えた結果、今まで経験してきたことを生まれ育った高崎の地域の皆様に恩返しをしたいと思い、決断に至りました。大人から子供まで診られる地域のかかりつけ医(総合医)になるべく、新たに専門外である小児科診療の勉強も始めました。信頼される医療を提供できるように微力ながらスタッフ一同頑張っていきたいと思います。赤城クリニックを今年もよろしくお願い致します! 

冨澤健史




平成21年 1月 1日
■ 新年のご挨拶

 明けましておめでとうございます。
みなさまのご支援のおかげで、赤城クリニックの平成二十年も平穏無事に幕を閉じました。平成二十一年も職員一同がんばりますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。
 クリニックにとって昨年はとても素晴らしい年でした。それは、冨澤健史先生が新たに仲間に加わってくれたことです。先生のおかげで、クリニックの最大の弱点であった、医師一人体制から脱却することができました。これからも冨澤先生と二人で、患者さんのために何ができるのかを考え、そして職員のみんなと力を合わせて、より良い医療を提供できるようにがんばりますので、期待していてください。なお冨澤先生の新年の抱負はクリニックのホームページに掲載予定ですので、是非ごらんになってください。
 さて、今年は丑年です。そして私は年男です。十二支の昔話をご存知ですか。そこでの牛は、お人好しで、のんびり、ゆったり、そんなイメージではありませんか。しかし、牛の一人として言わせてもらうと、それは見かけだけのことで、本当はいつも心に大切なものを秘めていて、いざというときには、猛烈に爆発する、そんな猛々しさ、荒々しさが牛の本性なのです。仲間の牛たちにも確認しましたので間違いはありません。皆さんも、そういう目で周りの牛や丑年の人をよく観察してみてください。
 そうそう、十二支の競争に参加させてもらえなかった人のことを忘れるところでした。ゴジラたちのことです。大怪獣ゴジラと二頭のミニラが、ちびウサギの龍太郎を連れてさいたまに行ってから、早いもので八ヶ月がたちました。半年くらいまでは、群馬で待っているモスラやラドンと戯れるために、週末ごとに前橋に戻ってきたのですが、半年を過ぎた頃からほとんど戻ってこなくなりました。モスラやラドンと会えなくなって寂しくなるのではと思っていました。しかしモスラとは毎日たくさんのメールや長電話をしていると、龍太郎から報告がありました。家族割引があるわけでもないのに、通話料を気にして極力電話を使わないようにしている私とは違って、豪勢なものです。一方ラドンからはほとんど電話が来ないと龍太郎は言っていました。ラドンとの付き合いは終ったのかと怪獣たちの友情の希薄さに一抹の物悲しさを覚えたのですが。しかし、ラドンは群馬からさいたままで一飛び、ゴジラとダブルスを組んで、さいたまの怪獣たちとテニスコートで暴れ回っているとのことでした。おそらく幼虫モスラは飛ぶことができないので携帯で我慢しているだけのこと、やがて成虫になったあかつきには、きっと毎日のようにさいたまに飛んでいって、あちこちのテニスコートで暴れ回ることでしょう。さいたまの怪獣たちを直接見たことはないのですが、ゴジラの話から想像するに、ガメラ・ギャオス・ガイガン・アンギラスたちのようです。ゴジラをはじめとする怪獣たちの行動力や社交性には全く驚かされます。このような状況では忙しくて前橋に戻ってくる時間もないのでしょう。
 しかし、わが家にはゴジラにしかできない仕事(その大半は肉体労働ですが)というものもあります。だからたまには帰ってきてもらわなくては困るのですが。そこで、いつものような低姿勢で電話をしてみたのですが、「週末にアルバイトを始めたからなかなか帰っている暇はないよ」と一蹴されてしまいました。
 暗くて寒い部屋で、一人ハンカチにアイロンを当てていると、昨年三月まで、ゴジラ様のおかげでどんなに安楽な生活を送っていたか、そしてゴジラ様がいかに有り難い存在であったかなどと不覚にも考えてしまうものです。おっと!弱音をはいて、ゴジラの策略にまんまとはまってしまうところでした。これからも自分を奮い立たせて本業と主夫業に日々研鑽の毎日です。
 平成二十一年、身の回りのことはすべて自分でやりながら、気持ちだけゴジラ様に支えられて、また一年間がんばります。
 最後になりましたが、ホームページをご覧くださっているみなさんにとって、平成二十一年が素晴らしい年となりますようにお祈り申し上げます。

院長




平成20年10月30日
■ 実りの秋

クリニックのまわりの田んぼでも、稲刈りが終わろうとしています。
十数年ぶりくらいに、農作業の手伝い(脱穀)をしてきました。手伝いといっても、普段ペンよりも重いものを持ったことがないありさまなので、たいした事はできず、幼稚園に通うちびたち(姪)二人と同じ仕事をしていました。それに比べて、日頃から体を鍛えているゴジラはたいしたものです。大きな袋いっぱいに詰まった米を軽々と肩に担いで道路まで運んでいくではありませんか。怪力ゴジラは、こんなときには本当に役に立ちます。
途中で、一休みの時間になりました。同じ仕事をしていたためか、幼稚園のちびたちとすっかりうちとけて、仲間に入れてもらい楽しい時間を過ごしました。ゴジラたち大人の仲間に加われなかったのは少し残念な気もしましたが、ちびたちと同じ仕事しかできないのだから、贅沢はいえません。まあ、ちびたちが私を仲間と認めてくれて、その仲間に入れてもらえただけでも幸せということでしょう。幼稚園の友達のことや、冬眠前のカメムシの話など、ずいぶんいろいろなことを教えてくれました。仲間に入れてもらったので、ちびたちと私だけで、仕事が終わってからコンビニまで片道1キロくらいを歩いていって、お菓子を買って三人で食べました。二人ともとても喜んでくれました。お菓子は、途中のベンチに三人並んで座って食べたのですが、そこへ男子中学生の集団が通りました。内心、“ちょっとかっこ悪いなあ“とうつむきかげんになっていたのですが、中学生たちは、それぞれ“こんにちは”と声をかけて通り過ぎていきました。こちらも慌てて挨拶を返しました。晴れ渡った秋の空のように、私の心もすがすがしい気分になりました。きっとおうちの人や学校の先生方のしつけや教育が素晴らしいのでしょう。
さて、脱穀が終わって、稲わらの大きな束をかたづけて、最後に田んぼに残った、もみがら(?)に火をつけて燃やしました。燃やすといっても大きな炎が立つわけではなくて、煙をだしてくすぶるというような感じです。その様子は、あたかも田んぼにお灸をすえているように見えました。物のたとえに“お灸をすえる ”という言葉があります。いたずらをした子供を厳しくしかるというような意味でしょうか、そのお灸です。でもこの場合は、田んぼが一年間、人間と一緒になって本当に努力と苦労を重ねながら、最後に実りの秋を迎え、その頃には人間も田んぼも疲労困憊してしまう。そんな田んぼの疲れをねぎらう意味をこめての、まさにいたわりの儀式がこのお灸なのではないかと。
私も子供の頃は悪いことばかりして、両親や祖父母はもちろん、近所の人からもずいぶんと怒られました。お灸もたくさんすえられました。でもこのお灸は、私のことを本当に親身になって考えてくれるその表現としてのもので、その一つ一つが、すべて自分のためになっているような気がします。
今の子供たちはどうでしょうか。私たち大人は、自分の子供にでさえ、お灸のように身のためになる注意や指導を十分にできていないのではないかと、ましてや他人の子供になど昔のようにお灸をすえることなどあろうはずがありません。これは私だけではないと思います。将来を担う若い世代を、未来洋々たる子供たちを正しい方向に育てるためにも、私たち大人は、本当に愛情のこもったお灸をたくさんすえてあげなければいけないのではないでしょうか。
収穫の終わった田んぼにくすぶる煙を見ながら、また取るに足らないことに思いをめぐらしてきました。

院長




平成20年10月30日
■ 赤城大バーベキュー大会

毎年恒例となっている、沖町花火大会に便乗しての赤城大バーベキュー大会に向け、早い時期から計画・準備に取り組んでいたのですが、今年は悪天候のため、花火は延期、大バーべキュー大会も悲しいことに中止になってしまった。

しか〜し、イベント好きな一人のスタッフ(S氏こと影の仕切り人)が、黙ってお流れにしてしまうわけがありません。

な・な・なんと、先日、9月27日(土)仕事を終えてから大バーベキュー大会を行いました。

参加者は23名(平均年齢チョッと高め)、天気は9月としては気温も低く、風もありました。

前日から氷を準備する人、食材の買出しやコンロ・テーブルを準備する人、私は一足先に仕事を終えていたので、メンバーがそろったら直に始められる様に火おこしに専念しました。

焼肉・焼きそば・野菜焼き・イカ焼き、ビールやジュースを片手にお腹いっぱいになるほど美味しく頂けました。特に、和牛は最高でしたよ!! 皆、楽しそうに話したり笑ったりのひとときでした。

後片付けは、やはり あっ!と言う間に済んでしまい、火の気が無くなってしまうと、風の冷たさを存分に感じさせられました。 「やっぱり、暑い時が一番だ!」と皆が口をそろえて言っていました。週明け、メンバーの一人(S氏)が風邪をひいてしまっていました。

来年は良い天気に恵まれる様に祈るばかりです。

A.M



みんな楽しそうです♪

アツアツをいただきま〜す!





平成20年09月26日
■ 獅子舞

私の住む村にはおよそ四百年続くと言われる伝統芸能の獅子舞が行われている。獅子舞いは「笛」と「舞い」の二つの役割分担が必要だ。どちらも大人と小学生が受け持つ。

小学校へ入学するとまず「笛」を習う。園児のようなあどけない小学校低学年生は落ち着きも根気も無い。親に連れられいやいややってくるのがほとんどだ。それが年々責任感が強くなり、それと比例してめきめき腕を上げる。最終学年の6年生ともなると指導者の大人より上手になる子もいる。

「舞い」は笛をしっかり続けていた子が舞えるとされている。獅子舞いを舞う高学年生の4名(獅子3名、カンカチ1名:鉄の棒をカンカチ鳴らして拍子を取る役、獅子ではない)の責任感たるや4年前までぐずぐずいって指導者をてこずらせた子とは思えないほど必死さが伝わってくる。子供とは急激に成長するのだなぁ〜と感心させられる。

 そもそもこの獅子舞いは村人の無病息災を祈願するありがたい舞だ。今でこそ、長男でなくても、古くから土着している家柄でなくとも舞うことができるようになったが、戦争で途絶える前までは獅子舞いを絶やさないために長男しか舞えなかったものだという。

獅子舞いを卒業した子供達が成人すると指導者となる。伝統芸能はこうやって子から孫へ、孫からひ孫へ脈々と受け継がれ、地域の輪を強固なものにしているのだなと感じる。

獅子舞が奉納される1年に一度の大祭は間もなくだ。子供達の練習もますます熱を帯びてきた。頑張った子供達のご褒美に当日は雲ひとつない仲秋の青空を期待したい。

Y.Y




平成20年07月28日
■ 知らないということは、恐ろしいこと

梅雨明けしてから、クリニックのあたりでは猛烈な蒸し暑さと、豪雨をとなった夕立が毎日のようにやってきます。
さて、ゴジラの話は引越しでおしまいにしようと思っていたのですが、ゴジラたちの生態をみていると飽きることがないので、急遽予定を変更して、いましばらくゴジラたちのことを書いてみます。ゴジラの観察日記くらいに思ってください。
ゴジラアイランドはその後、特段変ったこともない日々が続いているようです。二ヶ月に一度くらいは探検にいってみるのですが、ときどきはゴジラとミニラ、あるいはミニラどうしで戦うこともあるようです。怪獣どうしの戦いはゴジラたちにとっては日常茶飯事なのかもしれませんが、一人平穏に毎日を暮らしている私にとっては、実に恐ろしいものです。
そんなゴジラアイランドにも私の心を和ませてくれるものがあります。それは、龍太郎という名の小さなウサギです。我が家のメンバーに加わってから、かれこれ三年になるのですが、一向に大きくならず可愛いままです(ペットショップの人からは、ピーターラビットのモデルになった種類だから大きくはなりませんよといわれていたのですが)。それに比べると、ミニラたちは数年前とは比較にならないほど大きく成長しましたし、ゴジラはと言うと、体そのものは成長しないかわりに、その態度はどんどん大きくなるばかりです。本当ならば龍太郎は私と二人でのんびり暮らすはずだったのですが、可哀想にゴジラたちに拉致されて、ゴジラアイランドまで連れてこられてしまったのです。でも、ゴジラアイランドはイヌやネコなどのペットは飼ってはいけないといわれていたはずだったのですが、どうしているのかと聞いたところ、ゴジラアイランドの持ち主や住人たち(人間です)には、“ハムスターです“と申告しているようなのです。毛色は茶色で確かにハムスターのような色だし、大きさもウサギというよりはまあハムスターに近いかな、そういわれればハムスターに見えなくもないかなあ?と納得してしまいました。
さて、しばらくぶりで龍太郎の元気な顔を見られることを楽しみに、こわごわゴジラアイランドに行ってきました。ところが、男どうし、私の顔を見るとニコニコと顔をほころばせて近寄ってくる龍太郎なのですが、どうも元気がありません。ゴジラに聞いてみると、ここ2,3日は水もあまり飲まないし、食べるもの(主食は固形のウサギ用のご馳走です)もあまり食べない。キュウリをあげると、なんとか食べるけれども、食べるのに時間がかかるし、たくさんは食べられないとのことでした。耳を近づけて龍太郎の話を聞いてみると、奥歯に物が挟まったようなものの言い方です。どうしたの?とよくよく聞いてみると、奥歯に物が挟まっているのではなくて、前歯がつかえてうまくしゃべれないというのです。そこで龍太郎の口を見させてもらったところ、下の前歯がめいっぱい伸びて鼻の穴に入ってしまいそうだし、上の前歯もめいっぱい伸びて下の歯茎に当たって炎症を起こしそうになっていました。つまり上下の前歯が伸びすぎて口も開けられないし、前歯で物をかじることもできなくなっていたのです。その有様をゴジラにみせて、私なりに精一杯厳しく問い詰めたところ、龍太郎の可哀想な顔を見て、大笑いをしているではありませんか。私の厳しい問いかけなどすぐに一蹴されてしまいました。ゴジラには龍太郎の気持ちや言葉はわからないのだと、龍太郎と自分に言い聞かせました。そして、近くの獣医さんのところに連れて行って、前歯を切ってもらいました。獣医さんの話では、家の中で飼っていると爪だけでなく、歯も切ってあげないとだめなのですよと優しく教えてくれました。
龍太郎には痛くて辛い思いをさせてしまいましたが、うちに戻ってからはこれまでと同じように、水を飲んだり、自分のご飯をカリカリとおいしそうに食べてくれました。
そして、その夜は、龍太郎と二人で、ゴジラの文句を言い合いながら、気持ちよく眠ることができました。
知らないということは恐ろしいことだとつくづく思いました。そして、いつも謙虚な気持ちで、人のいうことをよく聞き、いっしょうけんめいに勉強し続けることが大切だということを痛感しました。

院長




平成20年05月23日
■ ゴジラアイランドのお引越し
  〜修行時代のはじまり〜


冨澤先生が仲間に加わってくれてから早いもので、もう2ヶ月になろうとしています。冨澤先生や職員たちに励まされながら、毎日何とか頑張っています。

みんなに支えられてクリニックは少しずつ良い方向に変わりつつある、という手ごたえを感じています。


さて、わがゴジラアイランドがその後どうなったかといいますと、ミニラ2号は相変わらずののんびりペースでしたが、何とか希望の高校に入ることができたようです。4月からは高校生に進化しました。とはいっても、進化とは名ばかりで相変わらずのんびりやっているようです。でも、これであと3年間は平穏な生活が続くことだと思います。一方、ミニラ1号は来年春に最初の大学受験ということで、それなりに頑張っているようです。なぜ最初の受験と書いたかは、前回のティータイムを見てもらえばわかっていただけると思います。それではゴジラは?

二頭のミニラは学校が家からかなり遠いので、通学をどうしようかと考えあぐねたあげく、アパートを借りて二人で共同生活をさせよう、ということになりました。かわいいミニラたちになかなか会えなくなるのは少し寂しい気もするけれど、自宅で甘やかされて育つよりも、世の中の厳しさ、生活していくことの大変さを少しでも感じてくれれば、やがて社会に巣立っていく二頭には必ずやプラスになるものと確信して、このように決断をしました。あとの細かいことはゴジラに任せて、私は仕事に専念していました。

3月末になって引越しが近くなってきました。ゴジラが神妙な顔つきで(ゴジラが神妙な顔つきになるとどうなるとお思いですか?ほとんど表情は変わらないのです。たぶん神妙になっているだろうと私が想像するだけです)、

“やっぱり子供たちだけでは心配だから、私が一緒についていって、面倒を見ることにしました。週末には帰ってきて掃除などやりますから、ウィークデーはよろしくお願いします”.....................

ミニラたちに人生の厳しい勉強をさせようと思ってのことだったはずなのに、気づいてみれば、なんのことはない、人生の厳しい勉強をさせられることになったのはこの私自身だったのです。

というわけで、4月からは、これまで以上に早起きをして、家事に精を出して、それから仕事に来るという、3月末までは考えもしなかった事態となっているのです。それでも2ヶ月もたつと、昔取った杵柄、料理の勘も次第に戻ってきて、ゴジラの作る飯よりも、結構うまいのができたりするようになってきました。

いくつになっても人生は厳しいということ、そんな厳しさの中にも楽しみや喜びをみつけて日々を送るということ、そんな当たり前のことを再認識させられた次第です。

院長




平成20年01月01日
■ 新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
 旧年中は、赤城クリニックにいろいろとご支援をいただきまして、ありがとうございました。

 年頭にあたっては、その年が平和で、みんなが心穏やかに暮らせるようにと、毎年祈っているのですが、昨年も例年通りで、目を覆いたくなるような事件や自然災害などの暗い話題ばかりになってしまいました。
それでも、今年こそは本当に良い年になることを祈念しつつ、この文章を書いています。

というわけで、わが家ではミニラ2号が高校受験を迎えます。いつも本当にのんびりしている人間なのです。それでも、さすがに高校受験ともなれば、奮起してがんばるのだろうと信じていました。しかし、受験の日が刻々と迫っているというのに、のんびりぶりは相変わらずで、いったいいつになったら奮起してくれるのだろうと、こちらはやきもきしてしまいます。このぶんだと、受験当日まで奮起せずにすんでしまうことになりそうです。私はこんなミニラ2号を見ていて、はらはらどきどきしています。ミニラのこの性格は、ゴジラ譲りなのでしょうか。それでも、さすがに母親とはたいしたものだと思ったことがあります。かれこれ数ヶ月前の話ですが、いつも一番早寝のゴジラが、いきなり、“今日からはミニラ2号が寝るまで、寝ないでがんばる”と言い出したのです。ゴジラといえども母親なのだとこのときは感心したのですが、私が自分の部屋で本を読んで、さてそろそろ寝ようかと思って居間に行ってみると、ミニラ2号はソファの上でテレビを見ながら寝てしまったらしく、そして、その傍らではゴジラが床の上に大の字になって、ゴーゴーと大いびきをかいて寝ているではありませんか。早速ゴジラをゆすり起こして、“ミニラ2号が寝るまで寝ないといったばかりじゃないか”と勇気を振り絞って抗議をしたところ、ゴジラ曰く、“私が寝ないといったのは、寝室で寝ないということで、ミニラ2号が寝るまでは、居間のソファで寝て待っているということなのだ。それにミニラ2号もソファで寝ているじゃないか“と猛反撃してきました。到底、ゴジラの反撃に太刀打ちなどできません”ものは言いようだなあ、それにしてもまったく勝手なことばかり言っているなあ“とゴジラの切り返しに、心の中で猛反撃をくらわせました。
 でも、私には話し相手のミニラ?1?号がいます。ミニラ1号は2号とは違って、少しは勉強しています。いつものように日曜の朝に近くのファミリーレストランでモーニングセットを食べながら、受験の話をしていました。ミニラ1号は私をがっかりさせることなどないはずだと安心していたのですが、いきなり、“私は、今から三年計画で大学に入るつもりなんだ”と。今が高校2年ですから、現役で受験をする前から、すでに2浪することを考えているのです。現役で何とか入れるところに何とか入ろうという親孝行を考えてはくれないのか?とこれも心の中で叫んではみたのですが、心の声がミニラ1号に届くはずもありません。いくら可愛くてもミニラはミニラ、所詮ゴジラの血を引く子供なのだと、思い知らされたのです。そして、このゴジラとミニラたちのために、私は還暦はるか過ぎまで馬車馬のように働き続けることになるのです。

 では,皆さんはだれのために働いていますか?
 患者さんのため、日本の医療を支えるためなど、皆さんからはすばらしい答えが返ってきそうですね。
 私は?と聞かれたら、私は迷わず家族のためにと答えます。何よりも大切なもののためにだからこそ、懸命に働けるのだと思っているからです。

 こんな怪獣たちに励まされながら、今年一年もがんばりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

院長




平成19年09月10日
■ 沖町の花火でバーベキュー!!

先日花火大会に合わせてバーベキュー大会を行いました。

私は今回で2回目の参加だったのですが、今年は準備の段階から関わったりしたので雨で中止になってしまったらどうしよう…などとも考えましたが、晴れているのに涼しいという最高の天気の中で行うことが出来ました。

バーベキューはクリニックの職員や関係者の方々皆で食べ物を持ち寄ったりしたので、肉やご飯・サラダ・とうもろこし・野菜等が食べ放題、ビールやジュースが飲み放題ですごく美味しくて大満足でした。

そしてちょうどいい頃になって花火が!

今年の花火はあまり見たことのない様な形だったり、一つ一つが大きかったりと、とてもキレイで最後には皆から拍手が起こるくらいでした。

花火も終わって片付けへ…去年もそうだったのですが皆片付けがすごく早くて10分ちょっとで綺麗に片付いてしまいました。

また来年も多くの人に参加してもらい、おいしく&楽しく出来たらなぁと思います☆

M・U




平成19年06月12日
■ ものは考えよう…

私は月に何度か本院の当直をしています。まだまだ若いはずなのですが,どうもそれは気持ちばかりのようで,当直明けでの仕事がだんだんつらく感じる今日この頃です。

私の理想とする内科医像の一つに、当直でコールされたときにすぐに飛び起きて,患者さんのベッドサイドにかけつけて診察をする、というものがあります。これができなくなったときが、私の常勤医としての限界だと自分自身で思っています。つまり,当直をするということを、自分が現役の医師としてやっていけるかどうかのバロメーターにしようと考えているのです。というわけで,本院の先生に無理を言って,当直をさせてもらっているのです。

しかし、そうとわかってはいても,まだまだ未熟な私は,“今日は重症な患者さんがいなければいいなあ”とか、“今夜はなるべくコールされなければいいなあ”とか,思ってしまうわけです。

いつだったか,当直のことを私の身近な人と話していたときに(その人は医療とは全く関係のない自由な身分の人なのですが),その人が,“もし私の当直中に重症な患者さんが発生したり,当直中に不幸にも亡くなられる患者さんがいたとしたら,きっとその患者は,私に是非診てもらいたいあるいは看取ってもらいたいと思って,私の当直の時に具合が悪くなったり,入院になったりするんだと思いますよ。だからその患者さんに信頼されているわけで,医師冥利につきるというものでしょう”と話してくれました。そんなにカッコの良いものではないのですが,それでも,そのように考えて仕事に向かうと,当直も不思議とつらさが半減し、本来あるべき使命感がふつふつとこみ上げてきて、元気が出てくるような気がしてくるのです。

もう,しばらく前になりますが,当直をしていたときにある入院患者さんが,未明に具合が悪くなってコールを受けました。診察すると肺炎を起こしていました。原疾患に肺炎が加わったわけで,これはかなりの重症でした。いくつかの処置を行って,状態がやや安定したところで常勤の先生にバトンタッチしました。その1週間後の当直の時でしたが,常勤の先生からの申し送りで,小康状態とのことでした。しかし、夜になって呼吸や循環の状態が悪くなってきて,いろいろと処置をしましたが,なかなか改善傾向がみられず,むしろ急速に悪化していきました。その夜,当直室でいろいろ考えながら,コールのくるのを待っていました(ちょうど翌日が日曜日だったので,中途半端に眠っても仕方がないので,横になってあれこれ,いろいろと,ぼんやりした頭の中で考えていたのです)。翌朝になって,呼吸の状態が少しですがもち直してくれました。でもまだまだ非常に不安定な状態です。後ろ髪を引かれるおもいで病院をあとにしました。そしてつぎの当直の時,日中までは落ち着いていたのですが,私が申し送りを受けて当直に入ってからまもなく,急変してしまいました。可能な処置はしてみたのですが,改善はなく残念ながら亡くなられました。

病院の常勤医として働いていた頃には,自分の受け持ちの最期を看取ることは日常茶飯事でした。しかしこのような形で、私の当直に合わせたように,いろいろと変化して,最期を私に看取らせてくださったこの患者さんに、私が決して忘れてはいけない大切なものを再認識させてくださったことに対する深い感謝の気持ちを持ったのです。

内科医としての資格(私が自分自身に課していることであって,一般的な資格とは全く異なりますので,誤解されないでください)を再確認するための手段である当直,そして私を信頼して待っていてくれる(私の驕った見方かもしれませんが)患者さんたちのためにも,私にとって当直の意義は大きいと思いました。

そして、ときどき、目からうろこを落とすようなアドバイスをしてくれる,ある人にも感謝したいと思います。

院長




平成19年01月01日
■ 信じるものは…

 あけましておめでとうございます。
 旧年中は、赤城クリニックに多大なご支援をいただきまして、ありがとうございました。おかげさまで、無事に一年を過ごすことができました。
 本年も職員一同、一生懸命にがんばりますので、よろしくお願い申し上げます。
 さて、以前、某ファミリーレストランに通っている話を書かせていただきましたが、それがいまでも続いています。昨年は相棒の高校受験にもかかわらず、いつもどおりのペースで通い続けました。メンバーも相変わらず、私と上のちび(私は彼女にミニラ1号というあだ名をつけています。ミニラってご存知ですか?ゴジラの子供で、頭はつるつる、目がパッチリしていてとても愛嬌があってかわいいのです)だけです。ミニラ2号(下のちび)は、“日曜日くらいのんびり寝ていたい”といつも欠席です。私たちが帰るころに起きだしてきて、納豆で朝飯を食べています。さて肝心のゴジラは?というと、夏でも冬でも早朝から出かけていって、赤城山の麓でラドンやモスラやガメラたちと暴れまわっています。というわけでゴジラもたいがいは欠席です。ただ、ゴジラたち怪獣は雨に弱いとみえて、雨の日だけは私たちに便乗してきます。こんな感じで、これからもずっと続いていきそうです。
 ところで、昨年暮れのクリスマス、皆さんのところにサンタはきましたか?私のうちには毎年サンタがやってきます。朝から晩までまじめに仕事をしている私のところには毎年素敵なプレゼントが届きます。朝から晩まで赤城山やピース佐野のあたりで暴れまわっているゴジラのところにも平等にサンタからのプレゼントが届きます。少し不公平な気もします。しかし、真面目さという点では大きな違いがあるものの、サンタの存在を信じているという点では共通しています。ミニラ1号、ミニラ2号も信じているからサンタがやってくるのです。父親が夜中にこっそりプレゼントを届けるという話をよく耳にしますが、わが家は私がやっているのではありません。それが証拠に、家族全員の目の前にサンタが現れたり、家族みんなで出かけた留守中に、部屋にプレゼントが届いていたり。これもみんながサンタを信じているからこそだと思います。もし信じることを忘れて少しでも疑いの気持ちが出てきたら、サンタはこなくなってしまうでしょう。
 皆さんは信じること、夢をみること、そして夢を追いかけることを忘れてはいませんか?信じることでサンタは存在し、夢が生まれ、ふくらみ、そしてそれを追いかける楽しみがでてくるのだとは思いませんか?
 今年は自分を信じて、大いに夢をみて、夢を追いかけて日々努力をする、そんな一年にしていきたいと考えています。

院長




平成18年12月13日
■ 年をとったな

「12月23日をもって閉店いたします」という張り紙があった。ここ数年病気がちだったようで,急に休んだり,営業時間も極端に短かった。それでも常連客はなんとか都合をつけ足を運んだ。前回,髪を切ってもらった時にはまだ閉店の話はなかったので,営業を続けることがよほど急激に辛くなったのかもしれない。70歳後半のおじさんと,おばさんの二人で店をやっているのだから仕方ない。私がいわゆる“ガキ”の頃から通っている近所の散髪屋だ。
6年ほど前,私の両親もおよそ60年続けた店を畳んだ。店(店舗及び工場兼住居)を壊し家を建てた。三世代8人で暮らす住宅を。店は重機であっけなく壊れた。60年間の家族の思い出が埃となって舞い上がって,やがて喧騒の中へと消えていった。
戦争を体験した両親はまもなく米寿。両親がまさに血と汗で作った店を壊したことに“本当によかったのか”と,今でも自問自答している。
私の周りでは一時代の終りが進んでいるのだなぁ〜と感じる。あと少しで50歳。振り返るのにはまだ早過ぎるのかもしれないが,こういうことがあると,ふと過去を振り返ってしまい胸がジンとする。年をとったな。

Y.Y




平成18年 6月17日
■ 徴候いまだ見えず

先日から,吉川英治著,「三国志」を読み返している。柴田練三郎著の三国志,「英雄ここにあり」を含めると,これで4度目だ。昨日8巻めに突入し,そろそろ蜀の国の終焉の時,秋風五丈原の場面で,読み続けるのが辛くなってきた。
さて,私の「三国志」初めての経験は非常に遅く,たしか25歳くらいのときだ。その頃の人物評価としては,やはり劉備玄徳のノーテンキな徳に引かれたが,50才手前の今読み返してみると玄徳には余り魅力を感じず、かえって愚鈍さが目に付く。一方,仇役であるべき曹操に本来の英雄としての魅力を感じるようになった。20年と言う年月は,私のような並以下の人間ですら様々な経験を通して視点や考え方が変わるのだから,当然長所や短所,または能力も大きく変化することはあるのかもしれないと痛感している。
さてさて私もそろそろ大人になりたいものだが。その徴候いまだ見えず。


Y.Y




平成17年 8月27日
■ 楽しかったバーベキュー♪

毎年恒例の沖町の花火を見ながら、赤城クリニック職員・バーベキュー大会が行われました。
台風がくるのでは?と心配していましたが、前日に過ぎ去ってくれました。夕立も周りの地域ではすごかったらしいのですが、赤城クリニックの上空は怪しい雲があったもののポツポツと降る程度。
花火大会はどぉなのかな?と思っているところにパンッパンッパン☆と花火があるよとの合図!!火熾し開始!!お肉・ウインナー・焼きそば・ジャガイモなどなど。やっぱりみんなで外で食べるのはおいしいですね(^○^)
お酒も入って上機嫌♪いつもとは違う院長や事務長の姿が見られました。(いつも酔っ払いのように陽気だけど)

おなかもいっぱいになったところで花火が打ち上げられました。『オーーーーー』と歓声!沖の花火なんてと期待していなかったのですが、いつもより迫力があってとてもキレイでした。
あとは片付けとゆうところで、持ちこたえていた空から一気に雨が…。慌てて撤収!普段のみんなの行いがよかったので天気もここまでもったのかなと。(^_^;)
今回も大成功でした。

みなさんの協力があってこそこんな素晴らしいバーベキュー大会が行えたのだと思います。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

I.M





平成17年 5月 6日
■ コッテコテの仕事人間?

皆さんゴールデンウィークはいかがでしたか。
日頃ないがしろにしていた罪滅ぼしの家族サービス。普段両親や女房にまかせっきりの、例えば農作業、日曜大工、掃除、犬の散歩、子供のシツケをこのときとばかりに押し付けられもうヘトヘト。1年でこの祝日が一番嫌いだなんて声も私の周りでは聞かれます。
かくいう私も、ご多分に漏れずおよそ2年ぶりに頂いた連休は日曜大工に終始しました。棟梁は父、私は小僧。棟梁に「もたもたするな!」「集中しろ!」「そんなことも出来ないのか!」と普段偉そうに娘や息子たちに言っているように威勢つけられていました。おかげで過激な筋肉痛、疲労、脱力感とまったくゴールデンウィークが恨めしい。
ストレスは溜まるけど、休養は取れないけど、胃が痛む毎日だけど、なぜかちっとも痩せないところを見ると、「やっぱり仕事が好き?」かもしれない。そうです、気がつくと「私が最もなりたくない人種」職場で仕事をしているのが一番安らぐコッテコテの仕事人間になっていました。

Y.Y





2004年 7月22日


朝日の差し込むのが早くなって,日差しも何となく春めいてきました。沈丁花の蕾も日ごとに膨らんで,今にも咲きそうになっています。でも実際に外にでてみるとまだまだ乾ききった冬の寒さです。これでは沈丁花,とうぶん咲きそうにはありません。
クリニックの増築工事もだいぶ進んできました。この分だと予定どおり,今月末には完成しそうです。患者様には窮屈な思いをさせてしまい申し訳ありませんが,もうしばらくの辛抱です。よろしくお願いいたします。
さて,喧嘩するほど仲が良い,という言葉がありますが,まさにその通りの家庭を持っている職員がいます。誰とはいいませんが。先日,面白い話を聞きました。例によって奥さんと(このように書くと男性職員だということがばれてしまいますが)喧嘩をしたらしいのです。彼はもともとまめで,心の優しい男ですから,もちろん怒ったりしても,それは口先だけの話で,実際には戦闘状態に発展するはずもないのですが。
ところが,その日はよほどのことがあったらしく,ついに暴力を振るってしまったとがっかりと肩を落としていました。彼のことだから,本当に我慢に我慢を重ねた上での刃傷?ということなのでしょうが。あまりに気落ちしていたので,彼の話を聞いてみることにしました。しかし,なぜ奥さんと喧嘩になってしまったのか,その原因をすっかり忘れてしまっているのです。そのくらいつまらないことが原因だったようなのです。奥さんは怪我をしなかったのか?と聞いてみると,ぽつりぽつりと暴力の全貌を語り始めました。喧嘩して腹が立って,どうにも眠れなくなってしまったので,居間で本を読んでいたとのこと。奥さんは彼とは比較にならないくらい肝っ玉のすわった大物なのでしょうか,子供たちとさっさと寝てしまったようなのです。読書に飽きて,寝ようと寝室に行ったものの(彼のうちは一部屋にみんなでゴロゴロと寝ているらしいのです,だからいつもはみんな仲が良いということなのでしょうが),どうしても腹の虫が納まらず,大きな鼾をかいている奥さんの枕元におもむろに座ってはみたものの,どうしても直接手を出すことなどできず,とはいえ何もせずにはどうしても眠れず,彼が考えたのは・・・・・・。奥さんの隣には可愛いちびっ子が布団から紅葉のような手を出して寝ていました。そのちびっ子の腕をとって,マシュマロのような手のひらで奥さんの頬をピタピタピタ。それで気がすんで,熟睡できたとのことでした。喧嘩の原因を忘れて,奥さんに暴力を振るったと息巻いていた彼,やはり私と同じ小市民なのです。

院長




2004年11月24日

平成16年、2004年もあとヒトツキです。今年も色々ありました。
台風上陸回数、真夏日連続日数と、いずれも過去の記録を大きく更新しました。
天変地異では、大型台風による被害、記憶に新しい中越地震、とこちらはいまだに先の見えない生活を強いられている方々が不安な年越しを迎えようとしています。
暗いことばかりではありませんでした。
オリンピックの聖地、アテネで開催されたオリンピックでは、日本選手がメダルラッシュ。感動と心地よい睡眠不足を私達に真夏のプレゼントとしてくださりました。
こちらも過去の記録を大きく塗り替えました。
太平洋を越えた、アメリカでは、イチローが、またやってくれました。メジャーリーグ年間安打記録を塗り替えたのです。重圧にひるむことなく、なんなく達成した彼に、サムライを感じました。
サムライといえば、ギター侍なんていう、異色のお笑い芸人も登場しましたが、こちらは人気ブームがいつまで続くかが逆に楽しみです。
一方、自分の周りでは、相変わらず、忙しくもないのに、何かと忙しいわけのわからない日々が続いています。
忙しくなくても、忙しくても、仕事が出来るということだけで幸せだと、最近では、やっと覚りました。
そうそう、赤城クリニックにとっては、大変な歴史が記されようとしています。
患者様の更衣室や休憩室、検査室などが、手狭になっていて、これまでご迷惑をおかけしていたので、無謀にも?増築工事に踏み切りました。
完成は3月上旬を予定しています。しばらくご迷惑をおかけしますが、ご協力の程宜しくお願い致します。
何はともあれ、日々は確実にやってきて、そして通り過ぎてしまいます。
後悔しないよう、毎日、一生懸命やりたいと思っています。

Y.Y




2004年 7月22日

赤城クリニックホームページの愛読者の皆様、暑中お見舞い申し上げます。
さて、今年は記録的な暑さですね。ここ数日、観測記録を毎日塗り変える猛暑の連続で、救急車の出動回数も例年を大きく上回っているそうです。熱中症にはくれぐれも注意して下さい。できれば、屋外にはあまり出掛けないほうがよいでしょう。そうはいっても、仕事を持っている方は、そんなわけにはいきませんので、出掛けるときには、こまめに水分を補給したり、帽子をかぶったり、最も暑い時間帯をはずしたりと工夫してください。尚、“熱中症”については、この「赤城クリニックホームページ」の「トピックス」のコーナーに掲載しましたので参考にして下さい。また、“夏バテ”も掲載していますのでご一読ください。
この猛暑、まだまだ続きそうです。お身体に気をつけ、楽しい真夏を楽しんでください。

Y.Y




2004年 2月18日

赤城クリニックのホームページは、事務長たちの努力によって頻回に更新されています。
今日は事務長にかわって、私がクリニックの人事の近況をご報告いたします。
クリニックには外来と透析室に全部で10名ほどの准・看護師がいます。
これまで看護の補助をして下さっていた方が、一念発起して准看護師を目指して市内の准看護学校に合格、この春から入学することになりました。新卒のフレッシュウーマンではありませんが、頑張って2年間の過程を無事おさめて、2年後には晴れて准看護師になることを希望しています。できればその後も看護師になるための勉強を続けてもらいたいと思っているのですが。
それからもう一人、クリニックが始まって間もない頃の仲間で、看護師になるための勉強に専念するということで退職した准看護師さんが、クリニックにカンバックしてくれました。もちろん、見事に国家試験にパスして看護師として仲間に再加入してくれました。外見も中身も頼れる人ですし、患者さん想いで、しかも若くて頭が柔らかいので、これからの活躍に期待しているところです。
というわけで、クリニックは一人入学、一人卒業と合格、というようにおめでたいことが続きました。
こんなうちわの事を書いたら事務長に叱られてしまうかもしれませんが、春になってみんなの努力が報われているのをみて、書かずにはいられない心境になってしまいました。
それから余談ですが、頻回という言葉をよく私たち医療者は使います。回数が多いという意味なのですが、インターネットで、あるホームページを見ていたら、これは医療界の業界用語のようなもので、一般的な言葉ではないとの指摘がありました。

院長




2004年 2月18日

■ 白根は上州ではないか

霊峰富士。フジヤマ、日本を代表する世界の、いや、日本の象徴といっても過言ではない富士。
その富士山の容姿の美しさになんら意義を申さない。四季折々、日々刻々とその表情を変え、
時には優雅に大空を舞、時には優しく里を包み、時には猛々しく雷鳴をとどろかす。
まさにヨッ日本一!だ。
ところで、この上州の周囲にもその富士山に負けず劣らぬ明峰がある。
関東平野の西北端のこの地から北に霊峰赤城。上州の人にとっては赤城は特別な山である。
それからやや左へ視線を移動すると越後から関東への雪の越境を防いでくれるかしぐねのような谷川。
北西には手の届くところに榛名があり、ずーと左へ視線を移すとのこぎり山の妙義だ。
私が小学生の頃の運動会は、赤城、榛名、妙義、この上毛三山の他に白根がチーム分け「団」の名前だった。
白根は上州に片足を入れていながら住民票は信州である。私は中学生くらいまでその事実を知らなかった。
真実を知った時にはショックでそれ以来少し距離をおいている。
赤城団が赤、榛名団が青、妙義団が黄色、そして白根団が白だ。
ところが今では我が母校児童数の減少だろうか上毛三山の三団のみになってしまった。とても寂しい。
確かに白根は今でこそ信州に住民票を置いているが、本籍は上州のはずだ。
草津、万座、白根のセットが観光ルートのはずで、県外からの観光客は草津へ来ているのに白根に登らない手はありえない。
従って白根の本籍は上州だ。白根に登りその晩は草津か万座の濁り湯に漬かり草津節を唄えば極楽浄土。
そうです草津には殺生が原もありますよ。
運動会ではその白根団を復活させて、白根の上州編入運動に弾みと既成事実をつくろうではありませんか。
ご清聴ありがとうございます。

Y.Y





2002年 7月吉日
■ 泡沫(うたかた)の夢

 宝くじを買った。女房が怖いので3,000円だけ買った。
「当たるわけないでしょ!……本気で当たると思ってるの!……馬鹿じゃないの!……もったいないじゃない!……3,000円あれば家族8人の夕食代が浮くんだからやめて!……」と女房が狂ったようにうるさいけれど、私は世帯主だ、大黒柱だ、家長だ、住民票はおやじの方が先だが、保険証は私が一番で、おやじは私のフヨウだ。だからガツン!といってやったよ。
「今度こそ当たるから勘弁して。これが男のロマンなんだよ。女にはわからないかな〜」。
 1等及び前後賞を合わせると、賞金額は3億円。私の生涯賃金を軽〜く飛び越えてしまい、女房の生涯賃金を加えても"焼け石に水"状態の、到底かなわない額だ。この10枚の券は、私の、男のロマンをかなえてくれるプラチナチケットだ。当選番号抽選会は数日後。今はインターネットで即日開票、タイムリーに結果がわかる。その日の夕方には私は億万長者。ウッシッシッ!当選を誰にも悟られないように平静を装う。当選が知れると、周りがうるさいからだ。びた一文(ビタイチモン)人になんかやるものか。今まで誰にも助けてもらわなかった。助けてくれなかったその仕返しだ。その日の晩に辞表を書いてやる。それも何度も何度も下書きをした、立派な社会人の辞表だ。飛ぶ鳥跡を濁さず、これは格言だ。どうだこんなに難しい言葉も知っているのだ。学があるだろう。次ぐ朝、爽やかに出勤し、いつもと変わらず皆と挨拶を交わす。それで社長室。
「おはようございます!」ここでも爽やかに挨拶すると、社長はいつものように「君になんか会いたくないものね」と眠そうにしていてシランプリ、挨拶も返さない。
「一身上の都合により、退職させていただきます」と唐突にいって、辞表を机の上へそっと置く。
 社長は目を丸くして、「姉小路君どうしたんだ。困るんだなぁ〜」
「この辺でそろそろ自分を見つめ直したいと思いまして」と普段の恨みつらみはぐっと胸に仕舞い込んでおいて、サラッという。
「君がいないと困るんだよ、何とか思い留まってくれたまえ」と哀願する社長。
 実はこの言葉に弱いのだ。意志薄弱の私の心はぐっと揺れ動いた。それでも恨み辛みはそう簡単に払拭できない。
「申し訳ございませんが」男は多くを語らない。(どう、高倉健さんのようでカッチョイイだろう。)
 それだけ言うと残り香さえ残さず社長室を後にする。
 これが私の億万長者の序曲なのだ。それから、南の島国で家族仲良くつつましく暮らすのだ。青い空、白い砂浜、エメラルドグリーンの海、強烈にきらめく太陽、エキゾチックな色彩豊かな花々、人々の表情には喜怒哀楽があり、時計に支配されることなく、携帯電話に拘束されることなく、コンピューターなんぞは漬け物の重石にでも使おうか、陽が昇れば目覚め、陽が落ちれば瞳を閉じる。ウワ―!もうすぐだ。
 抽選会の日がきた。早速インターネットで確認する。私は喜びを隠せない性格なので、その場で調べると当選がばれてしまいそうなのでプリントして家に持ち帰る。我が家にはコンピューターはあるが、電話代が払えそうもないのでインターネット契約をしていないのだ。薄暗い部屋で当選番号を確認する。薄暗い方が何となく当たるような予感がするからだ。祈祷師だって、神主だって、坊さんだって、みんな薄暗いところでムニャムニャやっているだろう。それに、男は「予感」すなわち第六感を大切にするのだ。私はこれまでもそれで生きてきたのだ。番号を一枚一枚なめるように確認する。胸が高鳴る。3枚まではかすりもしない。野球なら空振りの三振だ。でも不安はない。まだ7枚もある。楽しみはすぐに訪れては喜びも半減するというものだ。2回の攻撃も三者連続の空振り三振。一抹の不安はあるものの、心配ない。私の人生はいつも綱渡りの連続だった。3回の攻撃で逆転だー!。3回の攻撃も二者連続の三振。不安が私の胸を締め付ける。それでも、「野球はツーアウトからと言う格言?を知らないのか。逆転満塁サヨナラホームランだー!」と自分を奮い立たせる。
 我が職場には野球部がある。これがまったくのヘタッピーだ。投手はストライクが入らない。捕手はボールを後ろへそらす。野手は選挙でもないのに万歳ばかり。打撃はというと、かすりもしない空振りの三振の連続。年中完全試合をやられている。私のプラチナチケットも、あろうことか、3回の攻撃も三者連続の三振に切って取られてしまった。完全試合の一歩手前だ。姉小路ちゃん大ピーンチ!大きな不安が胸をよぎる。よーし、野球はよしにしてサッカーの延長戦だー!サドンデスだー!彼女にふられた時にはいつまでも引きずるが、こういう場合の変わり身の早さが男なのだ。エッヘン!最後の一枚、3万円、5万円、10万円、運命の分かれ道。(超、昔のギャグですわからない人は気にせず読み進めてください)
「グウッ!グウッウウウウウゥゥ………」今回もハズレだ〜。でも、落胆するのはまだ早い。まだまだ他の高額賞金があるじゃないか。
「グウッ!グウッウウウウウゥゥ………」これも駄目か。こうなったら高額でなくても何とか元金だけでも取り戻したい。
「グウッ!グウッウウウウウゥゥ………」また駄目だ。この壮大な計画を家族全員に披露していたので、家族の罵詈雑言たるや想像を絶する。それでも年に何度もやられているのでそれはあまりこたえないが、社長にまた痛めつけられると思うと胃が痛くなるほど辛い。私の壮大な計画は、またまた白紙に、泡沫の夢と消えた。
今朝も、私が挨拶しても、ブッチョヅラで見向きもしない社長さんに「もうしばらく目をつぶって使ってやってね」と心の中でつぶやき、へコヘコしている自分がいる。
次は必ず当ててやるー!

Y.Y




2002/04 
2002年 5月吉日

■ 男の美学

 去年にづづいて院長室の外壁にツバメが巣をつくってくれました.去年巣をつくった親鳥かあるいは巣立っていった子供たちなのかはわかりませんが,去年と同じ所に同じように出来上がりました.ずっと巣の中に入っているのでもう卵を生んであたためているのだと思います.あとはひながかえって成長し,無事に巣立っていってくれることを願っています.こんなことを考えながら毎日巣をながめています。
あたたかくなって急に建物の周りの雑草が目立つようになってきました.診療が終わって気が向くと草むしりをすることがあるのですが,とても一生懸命とはいえず,むしるよりも新たに生えて成長するほうが早いという困った状況になりました.それを見ていた事務長が連休前から毎日一生懸命に草むしりをしてくれたおかげで,連休明けにはすっかりきれいになりそうです。これからはその状態を維持できるように努力するつもりです.
 4月半ばに医師会の業務でツベルクリン接種と判定,BCG接種に行ってきました.開業する前は一度もこのような仕事をしたことがなかったのですが,実際にいってみるとなかなか楽しいものでした.中学1年と2年生が対象だったのですが,ほとんどの子供たちは平気な顔をして接種を受けていたのですが,なかにはいまにも泣き出しそうになってしまう子,本当に泣いてしまう子,友達につられて泣き出してしまう子などさまざまでした.いまの中学生はすっかり大人だと半ばあきらめかけていた私にとっては実に微笑ましい光景でした.もう一つ感じたことは,男子は強がって平気な顔をしている子が多く,女子には不安を前面にだしている子が多かったのですが,実際に聴診してみると,強がっている男子のほうが心臓の鼓動が早鐘のようになっているのに対して,見かけ上は不安そうにしている女子のほうが動じていない,ということに気づきました.我が家を振り返っても,クリニックの中を見ても,世の中一般を見ても同じような状況があるような気がしました.本当はか弱い男の子の痩せ我慢に,本物の男の美学を見出したような気がしました。

院長




2002/04 
2002年 4月吉日

■ カエルの子はカエル

我が家のお子様達はテストの点が自分なりに満足すると、答案用紙をわざとらしく両親の目に付く場所に放り出しておく。当然、私の遺伝子を受け継いだのだから、毎回とはいかずタマにだ。それでも盆暮れ正月より頻度が高いので、こちらも親譲りの鉛筆を転がし"丁か半か""駄目でもともと、一か八か"。隣の席の出来のよい生徒に援助してもらったりで稼いでいるのかもしれない。自分に不足しているところを何とか補おうとするその前向きな姿勢と涙ぐましい努力、それに最後は腹のすわった神だのみ、たくましく育っている我が子達に目を細める毎日だ。
もっとも彼らにとってはどうやら60点以上がよい点数のようだ。自分の器量に合った得点だし、ご法度技を駆使しての取得点なだけに最低のルールは守っているようだ。ルールが守れるなんて将来心配いらない。
まぁ〜どんなにできの悪い子供でも良い評価、過大評価を受けるのは心地よいとみえる。
 はてよ?・・・?よくよく考えてみれば、自分自身もまったく似たような行動をとっている。会議の時にはよい話を大げさにそれも詳細に自信満々声高に説明する。悪い話はシランプリ。話題に上がればまるで人事のように小さな声で窓の外の餌をついばむスズメを見ながらさらっと報告する。上がらぬ成果を指摘されれば「最善の努力をするも状況悪くて」の決まり文句。まったく40数年生きてきても我が家のお子様とちっとも変わりない。たくましく育ったつもりの慣れの果てがこのざま。私の親父の教育がなってないのだろうな〜と、感じる今日この頃だ。

Y.Y




2002/03
2002年 3月吉日

■ 私もおやじ?

二〇〇〇年目前のある晩、NHK紅白歌合戦の歴史をひもとく番組を見た。出場選手(合戦だから選手にしてみたが)の顔触れはどれもその時代を象徴する顔ばかりで、自分自身の足跡を振り返えらせてくれた。特に、私が一〇代後半から二〇代前半の多感な時代にテレビ画面で活躍した選手を目にすると感慨深いものがある。
いわゆるモンチッチカットの正統派「森正子」に始まり、エンゼルハットをかぶり、白いサンタクロ−スのような服を着て鼻詰まりで歌うのがなんともカワユイ「桜田淳子」。どこか影を秘めた大人の香りが売りの「山口百恵」。この三人が世に言う中三トリオだ。森正子を除く他の二人にかなり多くの同級生が熱狂していたのが20数年経った今尚鮮明に蘇る。                   
こんな私でも若い時はあったわけで、当時、私も中三、森正子の大ヒット曲で言えば彼女らの「同級生」で、数多のアイドル達に多大な影響を受けたものだ。この当時、「スタ−誕生」と言う番組が全盛期で、10代前半の子供たちが日曜の午前にはテレビに釘付けになっていたものだ。人気歌手をどんどん排出し、また泡沫の泡のように消えていった高度成長という時代背景の為せる大胆不敵な必殺業超人気番組だ。私たちの中にもアイドルスタ−を夢見てこの番組に応募した者もいたがすべて予選でサヨナラだった。
中三トリオは私と同じ年。て言うことは?彼女等もなんと43歳。私の同級生は、正直言って、大きな声で言うとクラス会で無期限連続攻撃を加えられるから愛情を込めて言うけど「おばさま」だ。クラス会なんてやると、このおばさま方に必ずお子様がついてくる。このお子様たちが「人が優しくしてやればいい気になりやがって、この糞ガキがー!」だ。ザワザワ、ギャアギャア喧しいし、やけに人懐っこかったりすると「あれくれこれくれ」とうっとうしい。ジュースはこぼす。食器は割る。食物はかき回し、歩きながら食べるからあちこちに食物が落ちていて、それを踏んづけちゃった時のイヤ〜な気持ちってありゃしない。お子様の製造及び飼育責任者は相撲取り並の腹をセンスないベルトか腰ひもかなんかで締め付け食い込んでいて、そこに「会費分は食べないと損だよね〜」とむりやり詰め込み、寒々と傍観する男子の目もよそに大口を開けて大笑いする。まったく昔の恥じらいなんて卒業証書と引き替えに学校においてきてしまったかのようだ。
当然ながら中三トリオもそのおばさまと同年齢。今では厚化粧でそのしわをうまく誤魔化しているつもりだろうが、そんなに簡単に人の目は欺けない。彼女等も「おばさま」なのだ。ところで、待てよ。その「おばさま」と同じ年の私も「おばさま」ならぬ「おやじ」なのだろうか。あんなふうに人の目に「おやじ」に映っているのだろうか。そう思うと背筋が凍る思いがする。

Y.Y



2002/01
2002年 1月吉日

■ 日本国から信用されている男

昨年末に家を建てた。
42歳にして生まれて初めてだ。もっとも42歳で複数度家を建てるという前人未到の大記録を打ちたてた偉大な人物は幸い私の周りには皆無。
土地はオヤジのオサガリだ。土地を買うだけの勇気も甲斐性も持ち合わせていないし、建築許可は下りたのだから文句はないだろう。
不便と割高を承知で3階建てにした。一般的な敷地より境界線が少しだけ狭まっているからだ。
頭金は無いに等しい。足らない分はお国から借りた。日本国が、その大将のライオン小泉が貸してくれるというから借りてやった。あと17年と2ヶ月で定年だと知っているのに貸してくれるというので、人の好意ならぬお国の好意を無にするのは失礼なので"借金まみれって評判だけどそうでもないのだなぁ〜"と筋を通した。♪ボロは着てても心は錦〜♪どうだ私には大和魂が生きているのだ。
お金を借りるのに生命保険に入った。なんとなく嫌な気分だったけど、建築屋と銀行と女房がしつこいので印を捺した。そしたら3人が笑みを浮かべた。人を喜ばせることが出来るなんて立派な男になったものだ。
家は快適だ。家のすぐ脇を通る電車の騒音と振動も、暴走族の狂ったマフラー音も、ヤングの運転する自動車から脅迫のように飛び込んでくるズンチャカ!ズンチャカ!カーステレオの音も気にならない。でも育ちの悪いお子様達の絶叫と24時間止むことの無いお母様のお念仏のような小言と、ヒステリックな妻の叱責だけはいかんともしがたい。とても残念だ。
真冬でも天気の良い日は我慢すればパンツ1枚でも過ごせるし、便器の前に立つと自動で蓋が開く。どちらもあまり意味がないのだが、その意味の無いところが少しだけ嬉しい。まぁ〜いずれにしろ今流行の高気密、高断熱の快適住宅なのだ。
決して見栄っ張りではないが、"新しい家にしたんだから駐車場ぐらい造ればいいのにねェ〜"と言われるのが嫌で屋根つき駐車場も造った。でも納めている自動車といったら車両価格1万円程の軽と1万30円程の1000ccのどちらもポンコツだ。これを真実の小市民と呼ぶのだろう。悲し過ぎる。クシュン!
三人掛けのソファーを2脚買った。安物合成皮革だけど真実の小市民には清水の舞台並の決断だった。ところが住人といったら床に寝転んでいるばかりで誰も座らない。たまにソファーを使うことがあるとすれば背もたれに使うだけだ。我がファミリーは古風なのだ。
ハード面?は画期的な変化を遂げた。でもソフト面?はちっとも変わらない。相変わらずのゴミ捨て場状態だ。クローゼットは各部屋に大きいのを設けた。納戸も3畳ある。物置も2つも造った。それなのに・・・。
今度家を建てる時は納戸の家を造りたい。居住空間は少なくてもよい。立って寝る覚悟もある。物が片付くように納戸中心の家を造るのだ。
ライオン小泉様もう一度助けてください。もう35年追加してあと70年働きますから。また信用してください。



Y.Y


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